「神の右の座で今なお十字架にかけられたままのキリスト」
神学
パウロは十字架に掛けられたままのイエス・キリストが現在、神の右におられて、そして私たちのためにとりなしをしてくださっているという理解をもっていました。ここが重要な点です。
「十字架にかけられたままのキリスト」について、パウロの書簡では、ある時に起った出来事が現在まで続いているという現在完了形に類する形が使われています(ガラテヤ3:1 Ιησους Χριστος ρποεγρση εσταυρωμενος 欽定訳 Jesus Christ was portrayed having been crucified)。つまり、イエス・キリストは十字架にかけられたそのままの姿で昇天して、神の右に今、いらっしゃるということなのです。ですから今でも血を流しておられるというイメージを私たちに示しているのです。この箇所では「あなたがたの目の前に、現在、十字架にかけられているイエス・キリストを私〈パウロ〉がありのままに示して教えてきたのに、どうして私の示したキリストを裏切るのか」となっています。つまりこれは、十字架にかけられ血を流しているキリストがそのままの姿で神の右におられる、というパウロの考え方が如実に表現された文章なのです。
もうひとつ、これと関連したことを申し上げます。アドルフ・ダイスマンという有名なドイツの宗教史学派の「長老級」の学者が書いたパウロ研究によれば、パウロのイエス・キリストはかつて地上にいただけの存在ではなく、今も神の右に座して十字架にかけられたままでおられ、しかもイエスはそこにじっとしてはいない。彼は霊として(これが、パウロの手紙に書かれている霊なのです。これはペンテコステの聖霊ではありません)、地上に生きる私どもをまるで空気であるかのように包み、私たちはその中で動き、その中で思索し、その中で苦闘しているというわけです。これがダイスマンの言う、イエス・キリストの救いです。
野呂芳男
「キリスト者の完全について」
本多記念教会での礼拝説教(2005年10月23日)より