「霊的共同体」の言葉の概念について、Tillichは次のように説明している。『「霊的共同体」という用語は、教会の概念の中で、新約聖書では「キリストのからだ」と呼ばれ、宗教改革では「見えざる教会、または霊的教会」と呼ぼれる要素を、鋭く性格づけるために用いられてきた。叙上の論議では、この要素は、時には、「霊的共同体の見えざる本質」と呼ばれた。』
カトリック教会もプロテスタント教会も、見えざる一つの霊的教会(からだ)である。勿論、組織も構造も違うが、エキュメニカル(教会一致運動的)に一つの礼拝が出来るところはすれば良いし、自分に固執する教派はそれで良い。
ただし、自分の教派のみが正しいとする観念、発言はもうやめようではないか。カトリックが出るから参加しない、という福音派の教会がある。マリア崇拝があるからだろう。客観的に見て、自分の教派が教理的にも、組織的にも正しいと言える教派はこの地上に存在しない。
どこも完全ではない。ルーテル派か、長老派か、聖公会か、ホーリネスか、バプテストか、カトリックか、どこが優れているのかという議論はもうやめよう。見える教会はどこも限界を帯びて存在している。「見えざる教会」がある。霊的教会である。この地上の教会は赦しを乞うて存在するしかない。
神学ブログ「Tillich」より