スタンリー・ハワーワスは1989 年に『Resident Aliens』を発表して、アメリカの教会を「偽りのキリスト教」と呼んだ。彼はアメリカにおける真の「キリスト教とは、アメリカ社会の文化的価値観や常識から身を離して、その社会の中に独り立つ異星人になることへの招待である」と断言し、本来キリスト教とは関係のないアメリカの軍国主義、愛国主義、極端な個人主義、物質主義というアメリカ的生活様式や成功第一主義を否定し、それらがあたかもキリスト教信仰から生まれたものであるかのような神話を打ち砕こうとする。彼の目には、アメリカ文化とキリスト教信仰は全く異質なものなのである。
ハワーワスのアメリカの教会に対する「偽りのキリスト教」の視点は、地元ノースカロライナ州のキリスト教の砦と言われた町が、押し寄せる世俗化の波にのまれ、キリスト教色を失っていくという青年期の実存的経験から始まる。彼はキリスト教の世俗化という現実をキャンバスに描かれた絵のようにはっきりと知覚するようになる。アメリカのキリスト教は変質してしまっていた。
しかし、ハワーワスにおいてユニークなのは、キリスト教の世俗化の原因を宗教改革を越えて、遥かコンスタンティヌス帝にまで遡って考察するところにある。キリスト教はすでにコンスタンティヌス帝の時代に変質してしまっていたのである。ローマ帝国の為政者の宗教となったキリスト教はイエスのミニストリー、初代教会の平和主義の立場から離れ、帝国の権力に迎合する強者の宗教に変わっていった。この系譜の中にある西洋教会が持っている宗教性と文化は、たとえ宗教改革に起因するものがあったとしても、少なくともイエスと初代教会の生きざまから出たものとは言いがたい。
啓蒙時代以降、従来のキリスト教の在り方が後退していく中、これまでの「キリスト教世界」(Christendom)という世界観が崩壊し、ポストモダンの時代がすでに到来した。多くの人々はこのキリスト教の世俗化を嘆くであろう。しかし、ハワーワスはその破綻したキリスト教の姿をアメリカのキリスト教の在り方を捉え直す絶好の機会として前向きに受けとめたのである。
ハワーワスは独り立つのではない。西欧の神学界を見渡せば、ハワーワスの前にレスリー・ニュービギンがすでにその「偽りのキリスト教」の現実を見据えて新しい宣教論を世に問うていた。長くインドで宣教師として働いた後、イギリスに戻った彼の目には現代西洋社会は他のどの社会にもまさってキリスト教の福音に対して敵対的であり、西洋文明は教会の宣教にとって最も困難な土壌に見えた。Gospel and Our Culture Networkの信仰覚醒運動も「アメリカこそまず最初に宣教されなければならない福音不在の地である」という認識の下、アメリカ教といいうるアメリカ文化とキリスト教との識別の必要性を自覚し、本来のキリスト教の姿をアメリカの教会の中に取り戻そうと自らのキリスト教理解を捉え直している。さらに南アフリカの宣教学者デイビッド・ボッシュは南からの声として“Transforming Mission”を著わし、このような新しい流れを決定づけた。
ハワーワスの本の副題は「何かがおかしいと感じている人々のためのアメリカ文化と宣教に関するキリスト者の挑戦」である。彼の問題提起はアメリカのキリスト教はなにかおかしいとうすうす感じていた人々にある確信を与えたであろう。そして、今や9.11を機に姿を現わした「ブッシュの神」の横暴が決定打となり、いよいよ明らかにアメリカのキリスト教の破綻した姿が浮き彫りにされたのである。アメリカのキリスト教はおかしい。ブッシュの神はキリスト教の神ではなく、アメリカの文化的価値観によって変質してしまった神なのではないのか。9.11はアメリカのキリスト教再考の一大転機となったのである。
藤井 創
藤井 創『「アメリカ的キリスト教」の検証 −9.11自爆攻撃の煙の中から姿を現わしたアメリカ教の素顔−』金城学院大学キリスト教文化研究所紀要(8)89〜124、2003 (ISSN 13418130)(金城学院大学キリスト教文化研究所紀要編集委員会編/金城学院大学キリスト教文化研究所)
但し、ブログ
「Stranger In Saskatchewan」からの孫引き