
父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。
わたしたちは今日も、自分がいったいほんとうは何をしているのかわからずに、迷いの中を生きています。そして、イエスはそのようなわたしたちをじっと見つめながら、祈ってくださるのです。「父よ、彼らをお赦しください」と。
はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。
死刑判決を受けた強盗は、イエスと並べられて十字架につけられました。この強盗は、死の苦しみの中でもがきながら、同じように釘づけられているイエスを「救い主」と信じて、自分の小さな信仰告白をしました。「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と。
彼は、イエスの十字架のあがないによって天国に入った、第一番目の罪人となりました。
父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。
わたしたちすべての人間の痛みと悲哀を一身に担うというイエスの使命は、イエスの極限の苦痛と死によって今や果たされようとしていました。イエスの霊は、父のみもとに去ろうとしています。
エリ、エリ、レマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか)
神に見捨てられ、孤独と虚無の中に死ななければならない、わたしたち人間の悲哀。その悲哀を極みまで、イエスは共に味わってくださいます。子なる神イエスは、今や神に拒絶され、捨てられ、死のうとしています。こうしてイエスは、わたしたちみんなとつながってくださいました。
わたしたちは、孤独の中で言うことが出来ます。「ここにイエスが共におられる」と。
わたしたちは、悲哀の中で言うことが出来ます。「ここにイエスが共におられる」と。
わたしたちは、虚無の中で言うことが出来ます。「ここにイエスが共におられる」と。
(母マリアに向かって)婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です。(弟子に向かって)見なさい。あなたの母です。
まったくの赤の他人同士だったものたちが、今、イエスの十字架のかたわらに共に立つことによって、おたがいがおたがいへの霊的な母となり、霊的な父となり、霊的な子となり、霊的な兄弟姉妹となろうとしています。ここに、イエスの十字架を見上げる他人同士による、新しい神の家族、霊的な共同体が誕生しようとしています。
渇く
わたしたちの生の渇き、魂の渇き。それをイエスは共有してくださいました。神から切り離された痛みと渇きを真に知るイエスであるゆえに、切り離された者同士をふたたび結び合わせることが出来るのです。
成し遂げられた
わたしたちの痛み、孤独、迷い、悲しみ、涙、愚かさ、弱さのすべてを担って、十字架についてくださった、イエス。その使命はついに成し遂げられました。すべての人間は、気づく気づかないを別として、イエスの十字架により、その生をすでに担い取られています。そして、イエスは今日も、わたしたちの人生の同伴者として、わたしたちと共に生きてくださっています。
今日イエスは共に泣いてくださいます。わたしたちの痛みがどんな痛みなのか、イエスはだれよりもよく知っておられるからです。
今日イエスは共に傷ついてくださいます。わたしたちの魂の傷がどんなに深いか、イエスはだれよりもよく知っておられるからです。
挫折と敗北の場所であったゴルゴダの十字架は、今日もわたしたちの希望のしるしとして、宇宙のあらゆる場所を、いのちの光の輝きで照らし続けています。