
「終わりの日」、つまり歴史の終末において、全人類の共同体において、すべてのものの復活が待望されることは、さらに進んだ一つの事実、つまり人間の不死性の共同体的性格を示している。
この不死性は全人類に関係している。つまり、個々人は全人類から、全人類に向けて、また全人類と共に生き、幸福にも不幸にもなるのである。
このことは、根本的には聖書に述べられている不死性の全人類にわたる性格から生じた一つの帰結にすぎない。
ギリシャ思想の魂にとっては、体も歴史も表面的なものであり、魂は体と分離しても生き続け、そのことのためには他のいかなる存在も必要としないであろう。
それに対して、統一体として理解される人間にとって、共同体の性格は基本的である。人間が生き続けるべきものなら、この共同体的次元をそこで切り捨てることはできない。
それゆえ聖書の根本原則から、死後にも人間相互の交わりが存在するか否かというさまざまに論じられてきた問いは、解答を見る。そのような問いは、そもそもギリシャ的要素の浸透によってのみ初めて論議されるようになったのである。
聖徒の交わりが信じられるところでは、体から分離した魂という理念は結局克服されるのである。
ヨゼフ・ラッツィンガー
Joseph Ratzinger
─新教皇ベネディクト16世─
ヨゼフ・ラッツィンガー「肉体の復活 II神学」
『サクラメントゥム・ムンディ』所収
(『神学ダイジェスト』1981年冬季号[第51号]p.107)