性に秘められた超スピリチュアルパワー 〜恋愛依存症・セックス依存症〜  自分を愛するとは

神島リコです。

夏目祭子氏の著書・
「性に秘められた超スピリチュアルパワー 〜幾千年のマインドコントロールを超えて〜」の中で、私が最も興味深く読んだのは、「寂しがる心に必要な手当て」という章でした。
ここで、「女性の価値を貶めるとお金が動く」ということを、取り上げているのですが、確かに、女性がひそかに持っているコンプレックスを、巧みに刺激している商戦が、世の中では繰り広げられていると思います。

ふだん、何気なく見ているテレビのCMや、電車の車内広告などで、エステや化粧品のキャッチフレーズ、女性向け雑誌で取り上げられているテーマが昨今、「愛され上手」「愛されるためには」というフレーズが、よく目につきませんか?

美しさ・ダイエット・恋愛に関することが、女性の関心のトップ。より美しくなりたいという思いは、健気で純粋で、ひたむきな女子の願いのようでありながら、べつの見方をすれば、「そのままの自分では価値がない」という、劣等感の裏返しでもあります。

それらの広告は一見、女性がより美しく、幸せになることを、応援しているように見えますが、「今のままのあなたじゃ、恋なんか無理」という裏メッセージを送り、劣等感・不安感を刺激して、おしゃれやダイエットに興味を持たせ、お金が動くように仕向けられている気がします。
そうやって、自己否定の種をひそかに蒔いて、本当は必要ではないものを、過剰に必要だと思わせるかのようなものには、私たち女性は、つねに注意が必要ではないでしょうか。

著者は、そうやって自己否定感を過剰に増長させる、自然な人間の心身の成長を阻む、現代の情報の渦にのまれ、何かに依存しなければ生きていけない、現代の私たちの在り方に、警鐘を鳴らしています。

依存といえば、医薬的な治療を必要とする、薬物やアルコールなどの依存症のほかに、たとえば「恋をしていないと、生きていけない」といった「心の飢え」に、「恋愛依存症」とか「セックス依存症」といった呼称がつけられ、タレントがテレビでふつうに、「私、恋愛依存症なんです」などと、使われるようになってきました。

ところで、セックス依存症については、まだ成人も迎えていないのに、男性との肉体経験数が多く、同棲しては別れるを繰り返し、通りすがりの男性とでも、すぐに関係を持ってしまう、という若い女性を、以前知っていました。
彼女はいつも、「さみしくて、たまらない」のだそうです・・・独りで夜を迎えることを思うと、さみしくて気が狂いそうになると。だから、独りに耐えられそうもない夜は、誰でもいいから、一緒に過ごしてほしくなるのだそうです。

彼女は幼い頃に、両親が離婚して、片親に育てられました。親はその後再婚して、彼女は腹違いの兄弟とともに、継親に育てられました。継親は、彼女のいい親になろうと、とても努力してくれたそうですので、彼女は基本的には「家族は好き」なのです。
彼女は時々、もう片方の実の親のもとにも通っていました。そちらもまた再婚して、べつに家族を持っていました。そんな両親の間を往き来しながら、彼女は「どこにも自分の居場所がない」と、感じ続けてきたのでした。

自分が安心して居ていい場所を求めて、彼女はさまよってきました。結婚して、信頼と愛に満ちた家庭を持つことが夢ですが、好きになる男性はいつも同じ、ハンサムだけど、女性関係にけじめがないタイプで、自分だけを大切に愛し、信頼と安心をもたらしてくれるひとには、なかなかめぐりあえずにいるのでした。
傷つくのが怖くて、もう恋はしたくない・・・でも、不安と孤独には耐えられない・・・それを紛らわしたくて、一晩だけでも一緒にいてくれる温もりを求める・・・自分は「セックス依存症」なのだと、話してくれたのでした。

依存症は、「心の病」です。話を聞きながら、痛々しさでいっぱいでした。彼女の両親は、私と同じ世代。私の娘は彼女とさほど歳が離れていません。彼女が私の娘なら、「何やってるの」と、その「病」を治すべく、ともに闘うところですが・・・。

しかし、確かに彼女の生い立ちに、要因のひとつがあるのかもしれませんが、家族の愛情の濃度の問題だけではないと思うのです。
世の中の社会的風潮、「恋をしなければ女じゃない」「イイ女でなくては、いい恋はできない」といった、押しつけと思い込み、メディアの「あおり」が、すでに「一般論」のような顔をして、意識に植えつけられているのが、彼女の言葉の中に、見え隠れしたのが気になりました。

私たち女性は、適齢期になったら自然に恋愛をして、自然に結婚して、自然に子どもが生まれるものだと思いながら、成長してきました。
しかし、現実がそうならなかった時、これまで教えられてきた、「自然の成り行き」通りにならない自分が、どこかおかしいのではないか、自分は女性として駄目なのではないか、親・社会・マスコミが言っている、「当たり前」ではない自分は、どうすればいいのかと、自分を否定せざるをえない状態に陥ってしまうのです。

そもそも、「適齢期」なんてのも、誰が決めたのでしょう?
女性とは、若くて美しくて、子どもを産み育てるのに、ちょうどいい年齢で結婚するのが一番いいと決めつけられ、適齢期という言葉によって「基準」をもうけられ、それにそぐわないと、自分の存在そのものが否定されることを恐れて、「恋をしなきゃ」「結婚しなきゃ」と焦らされ、「自分のほんとうの欲求」を見失っていないか、自分の心を見直す必要が、あるのではないでしょうか。

自分の外側がわめくことよりも、もっと自分の内側の、ほんとうに必要としているものの「声」を聴くことで、何かに依存しなくても、大丈夫な自分を育てることができるのです。
まずは私たち自身が、それぞれ持っている劣等感とちゃんと向き合い、広告の謳い文句に、安易に乗せられないようにすること、自己否定の種が、自分の中で育たないようにすることです。

そして、この本の中で、「ああ、なるほど」と理解できたことが、「愛は放射するもの」だということです。
「愛が足りない」と不足感に陥るのは、他人から愛情を得られないからではなく、「自分から愛を外へ表現しきれていない」ため、身体と心が、外側からむさぼろうとするから、なのだそうです。

自分から愛を放つことで、身体が「すでに愛が足りている」と認識するため、何かに依存する必要がなくなるのです。
他人からの愛情が足りていないからと、どれだけ他人に愛を求めても、どれだけ外側から空洞を埋めるものをかき集めても、決して満足できないのは、心身が、そういう仕組みになっているからなのです。

だから、外に求める行為は無駄であり、それどころか、他人に要求するばかりでは相手に負担を与え、さらに距離を拡げることになります。
依存というのは、自分以外の誰か、何かから、エネルギーを奪うことです。それにすがっていないと、「自分」という存在が、消えてなくなりそうな気がするからです。誰かに、何かに、すがっていなければ、ひとりで立てないような状態で、健全な、いい恋ができるのでしょうか?

健康で自然な恋って、心も身体も、自分ひとりでちゃんと自立していて、心に誰かを迎え入れるゆとりがあるときに、そんな者同士が出逢ってできるものではないでしょうか。
自分で自分のことができる、その力と、心のゆとりを持てたその時、私たちは自分を縛っていたものから解放され、自然でゆたかな恋ができるのだと思います。

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「性に秘められた超スピリチュアルパワー 〜幾千年のマインドコントロールを超えて〜」


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