
櫻島はいまだに爆発的な噴火活動を繰り返している。それに伴ってるかどうかは不明なれど宮崎の日向灘沖の海底でも地震が発生している。火山列島、地震列島、呼び名は多い。
意外に明るい一日である。風が冷たいので日は高く昇る冬の陽射しは変わらない。
いつかの新聞の文化欄に、東北は花巻出身の詩人だった宮沢賢治の写真付で、「左右社から出された『春の先の春へ 震災への鎮魂歌』を紹介してた。朗読CD付の賢治詩集〜それが「震災後の心に灯」(新聞タイトル)として俎上にのぼるのは時期にかなった傾向だろう。
「永訣の朝」という挽歌を書いた宮沢賢治という偉大な詩人が悲しみを、賢治詩を読む人々は誰しも共有できるように、ということか。
けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨
いんさんな雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜
じゅんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀
たうわんに
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛
さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系
にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
(うまれでくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
最愛の妹の臨終に詩人がどういう風に付き合ったのか、その細やかな心象の移ろいを妹の肉体と魂が昇天するように家の中から戸外へ、兄と妹の対置から合体するかに宇宙の彼方にあるという<ほとけ>が存在するという天上界へと、拡散しながら凝縮する心の形態(というものが、もしも在るならば〜)を捉えようとした。
冒頭3行「
けふのうちに とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ」に、唐突に出遭うことで、僕らはもう詩人と見事に融和していると思う。
有名な詩集『春と修羅』中の白眉「無声慟哭」篇には、この永訣の朝と、松の針と、無声慟哭という3つの連作があるのだが、この詩一篇でもう賢治と妹とし子の類まれな愛情が伺われるのはよく知られている。
「あめゆじゅとてちてけんじゃ(雨雪取って来てください賢治兄さま〜)」という解説ナシにでもこの兄妹の愛情の豊かさが伺われるから、詩の力は凄まじい迫力があろう。
また「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」という妹とし子の最期の言葉(だろうか・・・)からも、この兄妹が一つの真心につながったことを暗示していよう。
「生まれ変わるとしたら、今度はこんなに自分の事ばっかりで 苦しまないように生まれてきたい」という妹の希望がまた兄の別れの絶望を救い出そうとしている。ひょっとしたら、これは賢治の言葉だったかも知れない。どちらでもよい、たぶん、そこに賢治は光を求めたのだから。
以降ほぼ十年、詩人はその光を求めて宗教と詩と散文と実人生へ向けてまい進するが、身体が病魔に蝕まれてしまった。

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