聖書 ヨハネ16:23-33
1.主の弟子たちは三年間、毎日、主と寝起きを共にして、主の人柄を間近に学んで来ましたが、こと最後に至ってまだ、なお、主のことが、わかっておりませんでした。
2.主イエスは、力を捨て、敵に身をゆだね、苦しめられ、すべてを失う「十字架の道」を行こうとしておられました。ところが弟子たちは、主が力をもって敵を征服し、神の国を打ち立てられるに違いない、と、誤解していたのです。
3.「十字架の道」はちょうど、陣痛の苦しみに似ている、と、主はお語りになりました。産みの苦しみは、その最中には、耐えられないと思うほど、つらいものです。しかし、ひとたび赤ちゃんが生まれてしまえば、その大きな喜びのゆえに、さきほどまでの苦しみはすべて、失せ去ってしまうのです。
4.わたしたちは、主から、それぞれの小さな十字架を与えられています。自分の小さな十字架を背負って人生を歩いているいまは、つらく、苦しい思いをしなければなりません。しかし主は、「十字架の道」を通り抜け、「復活の栄光」に達せられ、大きな喜びに与かられました。わたしたちにも、その同じ喜びが、約束されているのです。
5.しかし、弟子たちはだれひとり「十字架の道」を理解しませんでした。弟子たちはみんな、主を見捨てて、逃げ去ってしまいました。
6.そうであるにもかかわらず、主は、「わたしは孤独ではない」と言われたのです。なぜかといえば、父なる神と、聖霊なる神が、子なる神であられる主イエスと、いつも、つねに、ともにいまして、「平安」を与えておられたからです。主は、三位一体の交わりから来る「平安」を、わたしたちにも与えよう、と約束してくださっています。
7.わたしたちもまた、主イエスを通して、三位一体の神の交わりの中に、いま、すでに、受け容れられているのです。わたしたちは、自分の小さな十字架を背負って歩きながらも、いつも、つねに、共にいてくださる三位一体の神から、「平安」をいただくことができるのです。
2005年5月1日(日)復活後第五聖日
説教要約
説教者 山谷 真 少佐