聖書 使徒1:3-11
1.聖霊が降る、というのは、何か恐ろしげなことではなく、わたしたちのような者のところにまで聖霊が降りて来てくださるという、聖霊のへりくだりと、その優しい愛とを、示しているのです。
2.わたしたちは救われていますが、なお、罪人です。イエスの弟子たちも、まさにそうだったのであって、弱さと、心の中の傷とを持っていました。弟子たちは、傷を持ちつつも、約束の聖霊を待ち望んでいたのです。
3.わたしたちの心の傷。その傷がもたらす心の中の暗い影は、主イエスの十字架の影の中に、入れていただくことができるのです。するとそれは、主とひとつにされて、消え去ってしまうのではありませんか。
4.十日間の祈りの間、弟子たちは、うめき苦しみつつ、悔い改めの祈りをし、聖霊を待ち望んだことでありましょう。その結果、聖霊が、弟子たちの心の傷に染み透るようにして、おいでくださったのです。
5.うめきには、三つあります。被造物のうめき。人間のうめき。聖霊のうめきです。助け主なる聖霊は、わたしたちの罪のために、うめき、苦しんで、とりなしの祈りをささげてくださっているのです。
6.初代教会においては、聖霊のみわざが、炎のように燃え上がりました。しかしそれは、万事が順調に進んだことを意味しません。弟子たちは、うめき、苦しみつつ、福音を宣べ伝えました。そして、その苦しみの中に、聖霊の炎が燃え上がったのです。
7.日本の救世軍の創業時代にも、聖霊の炎が燃え上がりました。それもまた、苦しみと戦いの中でこそ、燃え上がる炎であったのです。
8.この曲がった邪悪な時代のただ中における、わたしたちの苦闘。そうした状況にあってこそ、わたしたちは、聖潔の生活を生きることが出来るように、召されているのです。なぜなら、わたしたちの弱さが、聖霊の注がれる水路となるからです。
2005年5月15日(日)聖霊降臨祭
説教要約
説教者 朝野 洋 中将