今年の御言葉
神は言われる。「あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
ヨシュア1:5
ドイツの哲学者マルチン・ハイデガーは、言いました。「人間は、不安の中に投げ出されている存在である。」
日本的に言えば、「人生は、一寸先は闇だ」ということになるでしょうか。いま生きているこのわたしが、次の瞬間、どうなるのか、いま生きているわたしには、わからない。わからないゆえの不安が、生きる限りは、いつも、つねに、つきまとう、ということでしょう。
画家ゴーギャンは、言いました。「わたしは、どこから来たのだろう。わたしは、どこへ行くのだろう。わたしとは、そもそも、何なのだろう。」
これは、生きる意味についての問いです。それもまた、いまを生きるわたしには、すぐとは答えられない問いでありましょう。答えの無い問いを抱えつつ、とにもかくにも、前に進んで行かなければならない。そのことゆえの、不安があるのです。
「人生の不安」に対して、聖書の御言葉は、このように、わたしたちに語りかけます。
神は言われる。「あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
わたしたちは、依然として、目の先が見えないし、自分がどうなるのかも、わからない。しかし、万物を創造し、御支配しておられる神が、わたしたちに語りかけられるのです。「安心しなさい。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
ドイツのヘルンフート兄弟団が出している聖書日課『ローズンゲン』は、今年の御言葉として、上記のヨシュア記1章5節を選びました。
ルター派の霊的指導者であるツィンツェンドルフ伯爵が創始した、この敬虔派の共同体においては、古くから、日々の生活の中で暗誦するための御言葉を、「くじ」によって選び、その年その年の聖句集を編纂して、用いて来ました。それが、『ローズンゲン』です。
兄弟団の人々は、年の聖句、月の聖句、日々の聖句を暗誦し、お互いに会った時に、挨拶代わりに、聖句を朗誦したのでした。
わたしたちもまた、神が語りかけておられるこの言葉、「安心しなさい。あなたを見放すことも、見捨てることもない」を、暗誦し、日々の生活の中で、折りあるごとに、口ずさみたいものです。そのとき、わたしたちは、小さなわたしたちの生活の中にも、生ける神が関心を寄せておられること。神が、わたしたちのことを心配し、心を砕き、見えざる摂理の御手をもって、わたしたちを支え、助け、守り、導いていてくださることを、思い起こすことが出来るでしょう。
この御言葉と合わせて、ドイツに伝えられる、次の短い祈りの言葉も、暗誦するならば、日々の歩みの中で、大きな慰めを得られるでありましょう。それは、とても簡単な言葉です。
イッヒ・ビン・ニヒツ
アーバー・イッヒ・ビン・ザイン
わたしは無に等しいが
わたしはあなたのもの
この祈りは、「わたしは取るに足らない小さな存在であるけれども、わたしは、神に属するもの。神の手の中にあるもの。神によって所有せられているもの。神によって愛せられているものだ」という意です。
お互いに、御言葉と祈りによって支えられながら、新しい一年を、勇気を持って生きて参りたいものだと思います。