人間交差点(ヒューマンスクランブル)(1)  株式投資

■人間交差点(ヒューマンスクランブル)(1)

■第一部はマーケット(市場)。肥大化の一途をたどる金融市場が舞
台だ。そこに生きる人々のあるがままの日常を通し、政治をも動かし
始めた巨大なマネーゲームの一端を描こう。
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新総裁小渕恵三は、ゆっくり立つと、前後左右に頭を下げた。口元が
ほんの少し緩んだ。昨年七月二十四日、金曜日。東京・永田町。自民
党両院議員総会。総裁選の終了を笑みが告げた。午後三時十二分。そ
の時―。
           
 大阪。北浜。中堅証券会社。日経先物ディーラー(33)は、その
二分前、キーボードの数ミリ上に添えていた右手中指を外した。先物
の後場は三時十分で閉まる。「小渕」が決まれば、直前でも「売り」
を構えた。慣れた中指で値段、株数を打って送信するのに数秒で十分
だったのだ。ラジオ中継のイヤホンを取った。まくり上げたシャツを
戻すと、彼は目を閉じた。「主戦場は週明けだ」
            
 東京。外資系金融機関。株式ディーラー(33)は相場を示す十一
台の大型モニターに目を凝らした。大阪の先物市場は閉まった。開い
ているのはシンガポールだ。しかし予想通り「小渕」に反応はない。
梶山静六なら市場は動く。ただしどう動くか予測できない。だから面
白い。「こんな市場にお付き合いしてもしょうがない」。彼は週末休
暇への準備を始めた。
            
 神戸。証券会社。日経225オプションの売り買いで日々の利ざや
を稼ぐ個人投資家(62)は、総裁選の中継に見入っていた。二十五
インチの画面に小渕の姿が映った。「乱世に向かん男がなった」。た
だ、懸念があった。その八日前に買ったオプション(選択売買権)だ。
数メートル先の株価ボードを見上げた。点滅する赤信号が網膜に重な
った。
            
 東京。兜町。大手証券会社。ファンドマネジャー(31)はうめき
声を聞いた。手にした英文リポートから目を離し、見渡した。同僚の
ため息だった。モニターに「小渕」の一報が流れていた。彼は再び、
リポートに集中した。任された運用額は百億円を超す。「日々の小銭
は稼がない。大きな船は急にかじを切れない」
            
 東京。地銀支店。ディーリングルーム。モニターはロンドンの債券
市場を流す。そのとき日本国債の相場が一瞬下がった。債券ディーラ
ー(31)は見逃さなかった。
            
 伊丹。社の資金運用を図る役員(45)は、通信社のニュース端末
をたたいた。「小渕選出」の短信が浮かんだ。新味はない。しかし金
融再生に手は打つだろう。手持ちは十三銘柄、約七千五百万円分。落
胆にかけるか、期待にかけるか。考える時間は二日ある。
            
 東京。都銀。為替ディーリングルーム。ロイターのテロップが「小
渕」を流した。モニターに「ドル一〇銭高」。動きは鈍い。円売りで
構えたディーラー(30)は息をついた。世界のディーラーのほとん
どが同じ考えだ。「市場はとっくに小渕を織り込み済み」。いすに深
々と座り直した。
            
 東京。郊外のフィットネスクラブ。日本版ヘッジファンドの主宰者
(45)は細身を汗で包んでいた。ラウンジでの会員の話題はきっと
総裁選になる。その時にはこう言おう。「自民党は市場経済を分かっ
ていないよ」。きょうは動かない。課されたメニューは残っている。
汗は出し尽くしていない。




「小渕選出」の直後、英国のエコノミストは「金融市場の信頼は?」
と言った。日本の専門家は「市場は信認するか」とコメントした。
 休みを挟んで月曜日。ここで紹介した八人の男は、どう動いたか。

                         (敬称略)



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