もうそろそろ僕の奥秩父のシーズンは終了を迎えようとしている。
15日(日)はまたもや大若沢に行って来た。
前回に引き続き逸見(武田昌信)氏の金鉱跡を探しに行ったのだ。
途中、鉱山によくある赤茶けた鉱石がゴロゴロと落ちていて期待が高まる。
しかし、金鉱跡はなかなか見つからない。
坑道を作らない露天掘りだったのだろうか?
もうその穴は埋まってしまったのだろうか?

こんなほぼ垂直の窪地にへばりついていると、頭上に索道が見えた。
索道を辿り登って行こうと思うが、あまりに切り立った尾根なので諦めざるを得なかった。
家に帰っても未練たらしく原全教氏の大若沢の章を読んでいた。
左が原全教の復刻版『奥秩父』で、右が『奥秩父研究』の大若沢の地図だ。

本文は原氏が二里観音の西の弁慶と呼ばれるところ付近から大若沢を下降した時の紀行文になっている。
その中に
右から金山澤が合流してくる。白泰山の方からくる澤である。という一文がある。
これを読んで、何となく違和感を覚えた。
書かれている所要時間もちょっとおかしい。
そこで念のために昭和17年版『奥秩父』も開いた。
するとそこには大若沢だけの地図が付いていたではないか。
ああっ!!!
金山沢が違う。
よく見ると、原氏は一貫して現在の長滑沢を金山沢としている。
また神木は不動ノ滝の右岸にあることも分かった。
もっと早くにこれに気がつけば良かった。
作戦を立て直さなければならない。
長滑沢には三年前に入ったことがある。
でもその頃はまだ未成熟で、穴には目覚めていなかった。
だから大滝があったことくらいしか覚えていない。
今年の谿歩き終盤は、しつこく大若沢に拘ることになった。