ブログを少し模様替え。 東京の声優・ナレーターの斧アツシと 大阪のナレーター・怪人?の畑中ふうが、 色んな思いをやり取りします。

2011/9/21

東の空より〜  axfuu

昭和の時代のある朝。。。
起き抜けにTVニュースが騒がしく耳に飛び込んできた、
『田中角栄…』『ロッキード…』『お食事券…

田中角栄が総理になった時、
よくはわからんが『イマ太閤』とか云って
皆ががもてはやしてたような気がするが、
子供ながらにあの顔が信用できなかった。
まだ総理になる前それを父に云ったら、
『チョビ髭で判断するな』と怒られたのを今でも覚えている。

『政治家は信用出来ない』という思いが生まれたのは
思えばこの時からだったような気がする。。。

次にイヤ〜な不安を覚えたのは『中曽根康弘』だった。
コレといった根拠はない。
ただ直感が『こいつが総理になったらダメだー』と叫んでいた。。。

しかし、そんなガキの心の声が世の中に響くわけも無く、
中曽根総理はあっさり誕生。
そして世の中はバブルへGO
裏で何があったか知らないがいろんなやり難かった事が一気に進んだ。

当の中曽根康弘が初めて国家予算を付けさせた
原子力・原発推進もその一つ。

今や1,000,000,000,000,000円に達する
国の借金を加速させたのも。。。

この国の悪しき仕組みは多くが
この時代に確立したんじゃなかろうか…。

あれから20数年。。。
エラいもん遺してくれはりましたな〜中曽根はん

今日もNHKのインタビューに、
蚊帳の外から達観したような、他人事のような、
自画自賛のような持論を
臆面も無く仰ってましたが、
あなたの罪は相当深いと思う。

何の責任も取ることなく、安全に守られて、
悠々自適に政界の大御所、
御意見番を自負してる姿にかつての嫌悪感が蘇ってきた。。。

根拠のない直感…そう云えばもう一人、
『こいつがもし総理になったらこの国は終わりだ…』
と思ってた人物がいた。。。

それは…、

いや、その名前を出すのは止めておこう…。
幸いその男はまだ総理の椅子に座ることは出来ないでいる。

☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

小沢ですな^0^

大体、もはや引退してる元首相に何を聞きたいのやら。
細川某にしてもそうですわ。
そんな老人福祉はいらん^0^
そんな大事な扱い方はいらん。
元首相や元政治家ではなく、人間として大事に扱えば
ええだけのこと。

てか、渡辺恒三はいつまでやっとるねん!
と悪態をひとつ、ふたつ^0^;;

さて。

政治家は信用できない・・・
そういうところから見ていないとどんならん。

しかし、信用したくもある。
でないと、未来が暗いものにしか思えなくなるから。

政治家への、権力へのチェックが機能してきたのか、
いや、そうでもなかった、てのもあるよなあ。

「テレビ政治」と言われるようになって顕著になった。

そもそも「政治」とはなんなんでしょう?

政治とは、利益の調整。
政治とは、利益の衝突。

国民のため・・・というのは、日本人にはどこか
「大岡裁き」だの立派だった大名の話だの、
聖人君子を求めているところがあると思いますが、
だけに「裏切られた」感も強くなる。

今回の民主党の厚顔無恥なまでに酷い政治は、
ひょっとした「戦略か?」と穿ってしまうほどです、
僕としては。

わざと政治に絶望させ、多数派である無党派層を
政治に参加させなくする、
つまり「利益を守りたい」団体なり、集団が、
その利益を得やすい仕組みにしていっている・・・

政権につく、というのは、そういう我がの利益追求、
利益確保がしやすくなるということ。
これは昔から変わっていないと。

自民党は、かつて農家の利益側だった。
さらに色んな利益集団、カテゴリーが加わった。

原発しかり。
政治家個人の利益は、集団・カテゴリーの利益を
優先することで守られる。

新エネルギーが、今度はそれにとって変わりたい。
環境は、もはや巨額な利益を生むビジネスだ。

他にも、さまざまな「利益集団・カテゴリー」が
あらゆるところにあり、その綱引き、バトルが
日々繰り返されているし、繰り返されてきたし、
これからも・・・。

こういうことを僕は否定しません。
何故なら、僕が飯を食わせてもらってきた業界は、
まさに「既得権益」集団・カテゴリーのひとつですもの。

個人は、なんらかの形で「利益集団・カテゴリー」に
加わるか、関っています。

生活保護費が3兆円、大阪市は市民税の大半がそれ。
こんな状況を見れば「弱者」ですら、いまや
「集団・カテゴリー」に組み込まれてます。

だからこそ、政治が存在し、政治家が必要でもあります。
どう「利益」を調整するのか。

ところが、政治力が弱いと混乱が増大します。
しかし、政治力が強いと、もはや国民は反発します。

ならば、どうやって「政治」というものを理解し、
判断していけばええのやら・・・。

戦後66年、サンフランシスコ条約で「独立国」となって、
59年やったかな、来年は確か60周年。

政治に対する見方、考え方、理解の仕方、関り方など、
それらを有権者自身が鍛えていかないと、どんならん時代に
なっていたということではないかと思います。

もっと言うと、世界レベルで政治が弱ってきてます。
それは民主主義が停滞してきているのか、
民主主義に甘えてきたような、そんな気もします。

民意、民意、というけれど。
国民主権というけれおど。

なんか騙されてきたような^^;
いや、僕らが見ないようにしてきただけかもしれません。

難しいのぉ。
めんどくさいのぉ。
でもやらなしゃーないのぉ。








2

2011/9/13

何が私であるのか?  axfuu

ある月刊誌の新連載のテーマが「死生観」。
その中で、

「デカルト以降、『自分とは何であるか』を
考えるようになり、洋の東西を問わず、『死生観』が
失われていった」と書いてありました。

「デカルト以前、つまりは近代以前の中世の人々にとって
問題だったのは『何が私であるのか』ということ」

「何かの価値のために生きている自分の命を感じていた」

☆我思う、故に我あり〜デカルト☆
(意味はコチラ@とかコチラAでどうぞ^^)

中世において「何が私であるか」という問いかけに、
人々は「宗教、主君、国家の意味について考えをめぐらし、
自分が何のために生き、何のために死ななければならないかを
考えるようになった。つまり誰もが死生観を持つことができた」

と、その新連載には書かれています。

デカルトが生きたのは1596〜1650年。
日本では徳川幕府ができ、ようやく「天下統一」が実現。

日本におけるそれと、欧州におけるそれとは違いもありますし、
欧州の哲学が日本に入ってくるのは後のことにも
なりましょうが、大雑把に考えると、

「死生観」が幾たびの戦でボロボロになった?
いったい自分は何のために生き、死ぬのか?
と多くの人が感じたのは想像できそうです。

だから近代欧州において、
デカルトのような考えが受け入れられるように?
或いは「そやがな!」と。

「死生観」については、また後日考えてみますが、
私にとってのポイントは、まずは「何が私であるか」
ということです。

「私は何であるか?」を考え行動し生きてきた人生ですが、
薄々解ってきてたこと。
それは「俺は何であるか?」なんて分らんで。

特に最近はまた「自分探し」という考えが流行ったり。
「ナンボ探しても、そんなんないで!」という声も^^

「私は何であるのか?」と考えれば考えるほど、
「それ」を見つけ続けていくしかありません。
どこかで「こんなんかな?」と理解できればいいが、
結局、見つからないまま普通に生きていきます。

「何が私であるのか?」と考えなおせば、
目の前にある事を地味でも、継続して行い、
人生をそれで全うすることができそうです。

そこで考えました。
「ナレーション」は「私である」のか?

私であるが、私の全てではない・・・こういう結論が、
まさに「私は何であるか?」という考えに
どっぷりつかっている証でしょう^^;

「ナレーションは私である」と実感できたら
どれほど幸せか^^;

大工さんなら「家を建てることが私である」・・・
うむ。なんか羨ましい・・・。

「人を助けるのが私である」・・・

「何」というを説明するのは難しいし、
「私は何であるか」の「何」とはいったい「何」?
なんてところにもいってしまいます。

まさに、これが哲学する、ということでしょうか^^;

さて。

「何が私」なのか。

それは、まさに毎日やっていること、生きていること、
それこそが「私」である、まずは、こういう立ち居地に
立つことから考えなおさなければなりません。

或いは、「これまでやってきたこと全て」が「私」である、
それを素直に受け入れることだとも思います。

その上で、「こんな自分はいやや」と思えば、
明日からやり直していくしかない。

何が僕であるのか?

自分の内側に答えを見つけていくのが
「私は何であるのか」ならば、

自分の外側に答えを見つけていくのが
「何が自分であるのか」ということではないか、

そう考え直せば、世界の見方も変わる、
そう思います。

外側に、全く新しいものは存在しません。
存在していると思うのは、ただそれを知らなかっただけ。

内側に、全く新しいもは存在しません。
それどころか、内に行けばいくほど苦しんでいく、
自分を苦しめる、そう思います。

外側には多くの仲間がいます。
内側には自分しかいません。

何が私であるのか。
それを見つける旅に出ることにしましょう・・・

あれ?結局、そこぉぉぉ〜!!^0^










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2011/8/29

民主党代表決まる  axfuu

まだまだ暑さは粘りそう・・・
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。

世の中がバタついてます。
民主党の代表は決まったようですが、
新しい首相になっても、未来への期待を持つことは
まだしばらく無理のようだと。

島田紳助さん〜本名・長谷川公彦、という表現に
違和感を感じてます。
芸名に「さん」付け」で、本名は呼び捨て?
なんやようわからん。
マスコミルールということなんでしょう。

政治の世界にしても、マスコミにしても、或いは、
それぞれの会社にしても、
地域にしても、仲間内にしても、「それぞれルール」があります。

「それぞれルール」で「オーケー!」やと思うてたら
ルールが変わってきてたようです、紳助の件。

警視庁が暴力団を追い詰めていこうとしているらしい。
その流れの中での今回の出来事・・・引退というインパクトは、
芸能界だけではなく「考える」ことにはなるでしょう。

でも、事はそんな単純なものではないと思うております。
おそらくは日本の社会に蔓延りまくってる裏社会の影響。
外国人勢力、スパイも含めて、平和な日本はどこへやら。
いえ、これまでもあったのは間違いないのですが、
長い時間をかけて「影響力」を持った
様々な勢力を見ないようにしてきた、
見たとしても「自分には関係ない」と思ってきた、
マスコミも肝心なことは見せないようにしてきた、
そう思います。

ツイッターのおかげで、その情報、話は玉石混交ですが、
少なくともこれまで目にし難かった話、見落としてた話、
さほど気にしなかったことなどが、届くようになりました。

どうも、日本社会は相当おかしなことになってる・・・
なんとなく感じてたことが、具体化してきました。

ワシントンポストは「日本に期待することはしばらく無理」
という社説を書いたそうです。

政治の劣化は、政治家だけのせいではないでしょう。
前原氏をはじめとする「外国人献金問題」は、
なぜ外国人(ほぼ在日朝鮮人でしょう)が献金することを
禁止しているのか、という話はテレビでは聞きません。

なんとなくアカンねん・・・てな曖昧な空気、雰囲気で
びっくりするようなことが進行してきたように思います。

原子力発電の神話もそう。
「なんとなく大丈夫。電気はいるし」

原発を無くすことは数十年後にはあるとそいても、
今大事なのは「より安全に!」という技術力に対する信頼だと
僕は思いますが、曖昧にしてきたのに、
いざ事がおこると感情的に「やれ反対!それ反対!」
という声が殊更大きく聞こえる。
数、割り合いは少ないにも関らず。

沖縄の基地問題にしても、
地元はほぼ「賛成」だった、反対派はいるが多数ではない、
そんな事実とは関係なく、ここぞとばかりに大きな声をあげ、
マスコミ、特にテレビはそれに乗っかる。

中国での反日でもが5人くらいでも報道するのに、
フジテレビへのデモは警察発表3万人でも報道しない。

言いたいのは、偏向というか、わざと偏向にしているのか。
新聞もテレビも報道に関しては「うちの考え方こうだ!」と
正々堂々と言い、自らの考え方を世間に問いながら、
いったい何が正しいのか、何が真実なのかという
ジャーナリズム精神でやってくれれば、
コチラとしても選びようがある。

しかし、現状は、巧妙に演出しながら、逃げ場ばかりを作り、
表面的なことでお茶を濁し、「さ、スポーツです!」で笑顔。
んなアホな。

政治家にしても、いつから「ご理解」だの「国民の皆様のご納得」
だの、気色の悪い言葉使いになったのか。
あんなものは、間違いなく悪さしてるんですよ!!

悪さしてるんなら、悪さしてる言葉使いと雰囲気でないと。
そういう意味では見た目、小沢は相変わらず悪人系で、
だから突っ込みやすくもあるのでしょうが。

海江田の伏し目、前原もそう、堂々としている馬渕は体育会系で、
野田はダチョウの竜ちゃんやし、鹿野の目もなあ・・・

だいたい、旧社会党やらと数だけで徒党を組んでるからアカン。
民主党のほとんどは「革命」をしたいらしいです。
横路という元北海道知事が民主党におりますが、
7割以上は「横路派」だと、元鎌倉市議会議員の伊藤さんやったかな、
気合の入った感じのおばさまが言うてはりました。

革命をしたいなら堂々と戦えばええのに、
まあ、やり方が姑息というか巧妙というか。

いつからこないにズルイやつばかりが増えたのやろか・・・
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2011/6/22

東の空より〜ラーメンが好きだ  axfuu

東の空より

ラーメンが好きだ

えら〜〜くひっさしぶりの投稿となりましたが
エラ〜〜イ人たちの保身の狂奔ぶりにもう嫌気がさして、
それにどうこう言うのも虚しくなってくるので…、
軟派な話題を一つ

そう、ラーメンが好きなのね
序でに言うと麺類全般好きなのよ
いわゆる『メン喰い』ってやつ

しかーし
昨今の『太めん』ブームに物申ーす

なんでそんなに太いのよ
うどんじゃねぇんだから
稲庭うどんのほうがまだ細いぞってぇ極太めんが
我が物顔で罷り通ってるのがあ〜気にいらね〜

なんだ?『スープが良く絡む』だの『小麦の香りがどーの』だの、
いやイイんですよ好みは人其々自由なんだから
でもね…、

そんな店ばっか
大〇軒や六〇舎なんぞがモテハヤサレてからまるで
雨後のタケノコのように増え続けて極太はエスカレートする一方
でもって、
なんでみ〜んなTシャツにタオル巻いてんのよ
なんで魚粉そんなに盛るのよ

いくらDNAが『和』だからって、
そんなに中華をムリヤリ和風にするこた〜ねぇんじゃないの
たまにそんな店もあるってくらいならいいけども
ラーメン専門店で違う系統を探すのが
難儀するくらいみーんな同じってどうよ


関西はどないですか?
インパクトを求めて、或いはインパクトに釣られて行列してまで
食べたがる客がいるからブームとなって成立してんだろうけれど、
作り手も受け手もつくづく『右へ倣え』
が好きなんだな。。。
ヨッ、出ましたっまたもやこの国民性

でもそれってイコール自分がナイってことなんじゃ…

もちろん最初の『パイオニア』は尊敬に値するとは思いますが。。。


あ〜〜、細麺が喰いて〜〜〜

そんなに有難がるほどイイ匂いなのかそんなに嗅ぎたいのか的な小麦の香りなんて
どーでもいいから適度に縮れて適度にコシがある喉越しチュルチュルの
魚を連想させないスッキリ旨いスープに浸った細麺ラーメンがあ〜〜〜喰いて〜よ〜

って憂いてるのはもしかしてアタシだけなんかなぁ。。。

誰か教ぇーて

■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■

事務所の近所、南森町の交差点を南へ200mくらいかな、
ラーメン店ができました。
「大河」という名前やったか。
確か博多ラーメンで、太い麺ではなかったと。
また行っときます^0^

商店街の天三に「元ボクシング世界チャンプ・井岡弘樹」の
つけ麺がウリのラーメン店が今年オープン。
1回、行っときます^0^

友人の「打越」というオッサンが淡路島に住んでまして、
彼の家の近所に去年できたラーメン店は、かなり美味しいらしい。
一度、行きたいと思ってます^0^

大阪のラーメンの傾向はどうなんやろ?
前塚氏に訊いてみようっと!

確かに「魚粉」とか、うどんのように太いとか、
そんなん、どうなん?と。

永谷園が「そーらーめん」とか出してますな。

確かに、Tシャツにタオルを巻く・・・ですな^^;

元巨人の元木の店はどうなんすか?
あそこもTシャツに巻きタオル・・・TVで見た。

大阪は、人が右向きゃ、わしゃ上を向く、てな感じもあり、
行列ができるラーメン店て、あるんやろか?

行列ができるスイーツはあります^^;

「右え倣え」国民性は、そこかしこに、よーけおますなあ^^;
ほんま、どないなっとんねん!!

ですわ^0^

1

2011/6/1

「地球にやさしい」をやめていきませんか?  axfuu

リーダーシップがない、なんてレベルやない話やないやろか?

ようもこれだけバラバラになるもんなんやろうか?

「内閣不信任案提出」については、
政治がやるべきことのひとつとして僕は支持します。
政局やら、こんな時期に、てな話になってますが、
これまでの政府を見ても判るように、

やるべきことをやらない

ことが、いかに罪であるかというのが理由です。

この政府に「不信任」を突きつけなければ、
それはまさに思考停止か、感覚の麻痺、ということに
なるのではないか?そう思います。

しかし、ようもこれだけダメな政府って
ないわぁぁあ。

結局、「わしが責任をとる!」という輩が
ひとりもいない、というのが枝野(もう呼び捨て^^;)でも、
海江田でも、仙石でも、岡田も・・・
どいつもこいつも、そして菅が!

こんな政治家しかいないのは、
それは我々、国民のせい・・・というのも口惜しい。

それでも、もう彼らのせいにする考え方ではいけない。

さあ、何をしていこうか?

政治に参加していこう!

まともな政治家、思想・哲学を有している人物を
探すことから始めるしかない。

面倒くさいことですが。
結局、そんなんやっても・・・という無力感もあるが。

放っておいたらあきません。
そして、ほんますまんが、リベラル思想や、
それらが蔓延っている考え方では打開できないと思います。

リベラル思想?蔓延ってる?

それは、今のこの日本で中心となってる考え方、
一見「心地いい」と思われる、「ええことやん」と感じてる、
そんな「これまでの考え方」「発想」「感覚」を
疑ってみませんか?

その代表的な感覚、考え、言葉が

「地球にやさしい」

こんなおこがましいことはありません。
僕ら日本人は、自然に畏怖と敬意とを持ち合わせてきました。

「地球にやさしい」????

この言葉は、この上なく便利で、しかし、
この上なく欺瞞を孕んでいると僕は思います。

「地球にやさしい」って何なんでしょう?

エコのことを言うなら、
元々我々は自然と共生してきました。

今さらそれを思い出すための言葉なら、
「地球に感謝」「地球にありがとう」の方が、
ずっといい。

本当は、地球=自然に対する畏怖と敬意を
今一度僕らはしっかりと持つ、
そこにアイデンティティを置いてもええくらいやないか、
そう思います。

僕は野放図に生きてきました。
何もかもを当たり前に存在するものと。

無常であります。
今あるものは、決してずっとあるものではない。

この感覚を持ちえるのは、自然に対する畏怖と敬意を
深く刻み込んできた日本人だけかもしれない。

そして、それは欧米に、世界の人々に伝えていくべき
「この地球」で生きる人間にとって必要な思想ではないかと
思うのであります。

「地球にやさしい」なんてまやかしの言葉を良しとしてきた
考え方のベースにあるのは、「伝統的なものを壊し、新しいものを
つくっていく」という革新の思想です。

そしてザクっと言えば、
「伝統的なものの上に、変えるべきを変えていく」というのが
保守の思想です。

革新と保守、これも曖昧にやりすぎてきました。
保守は「守旧的」と見られ、革新がいい社会を創ると
考えられてきました。

それはもう間違いであると、
今の政府を見て、改めて実感しました。

保守がダメだったのは、
「変えていくべき」を変えてこなかったことです。

革新がダメになったのは、「壊すこと」に偏ったこと
ではないかと思います。

政治がたて直らないと僕らの生活もヤバイです。

政治を立て直すには、僕らも変わらなければなりません。

「生活第1」と、この政府は言いました。

政治と生活が直結していることを実感してきました。

「地球にやさしい」という言葉を「おかしい」と
思ってもらえたら、と思います。

あんた何様や?
そんな声もありそうです。

「地球にやさしい」なんて言葉に、
言うほどのもんがあるんかいな?

あると、僕は思ってます。

「世界にひとつだけの花」も、その一種だとも。

「やさしい」言葉に、もう騙されてはいけない、
そう思います。



















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