パーマネント・プレス 28 2000年6月6日発行
記事内容
連載*第1回■石川為丸「逆転写 清田政信と中屋幸吉にふれて」
詩■吉沢隆史「うなぎと亀」 坂井信夫「死の島へ――17」 井元霧彦「金糸雀広場」
■連載■第一回
逆転写 (上) 石川為丸
清田政信と中屋幸吉にふれて
エイズウイルス(後天性免疫不全症候群ウイルス)や成人T細胞白血病ウイルス(ATLウイルス)などは、レトロウイルスと呼ばれている。レトロとは、英語のレトロスペクティブの省略であり、回顧的とか復古的とかいう意味の言葉である。ところで、これらのウイルスは、なぜ「レトロ」と呼ばれるのだろうか。
ウイルスとは、細胞構造を持たず、遺伝子とその周りを包むタンパク質の殻のみからなる微粒子であるため、生きた細胞内でのみ増殖できる細胞寄生性の仲間である。寄生生活をする点からみても、原核生物の一部のみが「退化的に進化した」と考えられているが、生物と無生物との中間的存在であり、特殊な存在物である。身近なものとしては、インフルエンザのウイルスや、大腸菌に寄生するタバコモザイクウイルスなどが挙げられる。これらは一般に遺伝子としてDNAをもっている。ところが、エイズウイルスやATLウイルスは、遺伝子としてDNAではなくRNAを持っている。一般の生物は自分の遺伝子DNAを鋳型としてDNAの情報をRNAに転写し、その情報をもとに細胞質のリポゾームでタンパク質を合成している。一般のウイルスも、自分のDNAの情報を宿主の細胞内のRNAに転写させて、宿主の細胞内で自分のタンパク質をつくらせて、増殖しているわけである。しかしエイズウイルスなどはDNAを持っていないので、DNA→RNAの仕組みによるタンパク質合成はできない。そこでこれらは逆転写酵素と呼ばれる酵素によって自分のRNAの遺伝情報を宿主細胞内でDNAに逆転写し、宿主細胞内に自分の遺伝情報をDNAの形で組み込むのである。
一般のウイルスが、DNA→RNAの系によってタンパク質合成を行うのに対して、これらレトロウイルスは、RNAからDNAをつくるという、いわば逆の反応を行わなければ自分の遺伝情報を宿主細胞内で発現することができないのだ。そのように逆の反応を行うことは、RNAよりも以前の情報を呼び戻すことでもあるわけである。RNAをもとにして、それよりも「むかし」に戻るという意味で、これらのウイルスは、遺伝情報発現のメカニズムにおいて、レトロスペクティブ(回顧的)なわけである。このことは、かなり示唆的である。
言葉の渚? 波のたわむれ?
三年ほど前に、「沖縄の現代詩は壊滅状態に見える」といった沖縄のある時評者の一言にひっかかって、私は、壊滅的な状況にあるのはこの国の商業的な詩誌等を賑わせている表層の「現代詩」一般なのであるから、なにも「沖縄の」などとあえて限定してほしくない、というようなことを述べたことがある。この間、「現在詩人」批判として、私はこのパーマネント・プレス紙上にて、この国の表層に見える現代詩の「壊滅的な状況」にふれてきたつもりだったからである。ただ、後になって、その方の発言の真意がわかるようになった。彼の発言は、清田政信の仕事に代表される沖縄の六〇年代半ばから七〇年代初頭にかけての言語状況を念頭に入れた上でのものだったのである。それと比べれば、確かに今の沖縄の現代詩をめぐる表層的状況は、しまりのないものになっていると言えよう。たとえば、沖縄における唯一の「現在詩」情報源であるはずの「沖縄タイムス」文化欄の「県内詩時評(矢口哲男)」。これを、この一年間読み続けてきたのだが、それはまさに「沖縄現代詩の壊滅状態」を追認するようなしろものでしかなかった。こういう事態は、ひとえに、詩を自分の狭い枠組みで安直に定義づけてしまうことのできるような時評担当者の底の浅さによるものだと思うのだ。その時評担当者は、毎週のように出掛けていく浜があって、そこの「やわらかで曖昧な浜の空気が、僕は好きなのだ」などとのんきに述べた後で、「言葉の渚で波の戯れのように詩は生まれる。あるいはだから、そうして生まれたものだけが詩だといっていいのである。」などと断言してくれていた。世紀末沖縄の現代詩は、ずいぶん狭い枠組みの中に仕切られてしまったものである。これでは、「この詩は言葉の渚で生まれてないから、だめ」とか、「この詩は言葉の渚で生まれてはいるんだけど、波の戯れのように生まれなかったから惜しい」とか、こんな笑ってしまえるような次元のお話になってしまうだろう。沖縄の現代詩の強いられた言葉のありように、真摯に向かっていた「幸喜孤洋追悼集・いまを病む無明の時」についても、この時評担当者は、「幸喜孤洋追悼集が刊行されていた。年譜を見ると僕と同年。春の風が、袋地に迷い込んでいて行き処なく身を拗じっている。胸が痛んだ。」といった感傷しか述べることがなかった。時評欄での彼の言及はたったのそれだけだった。彼は、幸喜の言葉に、あるいは「追悼集」の内容にはけっして触れることがなかった。「詩時評」の読者にとっては、彼が幸喜と同年であるかどうかなどは、べつにどうでもいいことであったはずである。この詩時評者のように、幸喜の詩について、追悼集の意味について、真正面から受け止めることを避けたところからは、「壊滅状態」は超えられないだろう。幸喜は、実際に生きる沖縄の現実と、生きていこうとする言葉とのギャップを感じていたのだと思う。だが、あえてそのような言葉のほうを信じ、自分の生の一切を投入していこうとする理由を彼は心の深いところにかけていたのだろう。「影を持つものは影のなかでしか生きられないということが/ぼくにもわかりそうだ……」という詩のフレーズを残している。幸喜が信じていた言葉は、沖縄の現在とはおおきくすれ違っていたはずである。30代終わりから47歳で亡くなるまで、詩を一篇も書かなかったということである。沈黙としての表現。これは、この追悼集に寄稿されているような人たち、沖縄において意識的にものを書いてきた人たちにとっては、まさに実感できることだと思う。だが、彼は、影をかたちにする前に、逝ってしまったのである。一九九八年、アパートの自室で、誰にも看取られずに、心筋梗塞で亡くなっていたそうである。「幸喜は、村共同体から痛苦を受けておりながら村から離れようとはしなかった。原郷である村を対象化し村と闘いながら村を愛したのである。」と宮城英定氏は書いている。また、宮城松隆氏は、「〈村〉や〈共同体〉という壁の前に直面して立ったままでいる意識から私たちは自已の生がこの壁の強制下にあることを厭というほど知らされる。これこそ私たちの生の場所なのである。そして孤洋はこの壁の内部を充たしているその一つ一つまで意識化しようとしていく」と述べている。さらに、喜名正信氏は、「幸喜が私たちの〈村〉と対峙し、そこから詩の構成を抽出した試みは、別の言葉で言えば、他の幾人かの詩人たちと共に、沖縄で初めて表現の意識を持ちえたことを意味している。」と述べている。いずれも、幸喜の詩のあり様をよく掬っている発言である。幸喜の詩と、その後の表現としての沈黙は、誰かがやったような、沖縄戦の悲惨とか本土の連中の「癒し」の対象となる沖縄の風土とか、そういう「カヅコ付きの沖縄」を題材にしてしまった詩とは、まったく別の潮流であった。ここまでは、先の、「言葉の渚で波の戯れのように生まれたものだけが詩だといっていいのである」と言ってのけることのできたあの沖縄現在詩のおめでたい時評水準からはどうしても届かなかったであろう。
「言葉の渚で波の戯れのように生まれたもの」だけを「詩」とみなす、軽く明るく朗らかでおめでたいだけのものが沖縄現代詩の表層を賑わしていると言ってもいいのだろう。こうした『沖縄の文化状況の現在について』、「批評や批判のないシマ社会で、皆さん伸ぴ伸びと活動をしていらっしゃる」とうんざりぎみに揶揄をふくめて述べていたのは、作家の目取真俊である。目取真は、沖縄の現在詩人に関しても、〈象のオリの前で三味線を弾いてカチャーシーを踊り、大和のマスメディアの期待どおりの“沖縄的な絵”を演じてみせる詩人のパフォーマンスが、テレビや新聞の紙面を賑わせる。マスメディアの作り出す「沖縄」のイメージを解体し、独自の「沖縄」を表現するのが詩人の役割ではないかと思うのだが、三味線やカチャーシー、空手に琉舞と、世間の「偏見たち」が作り出す「沖縄」の流通イメージにのっかって行われる「ヤマト批判」とは何なのか〉と手厳しく批判していた。さらに、〈本気でやる気もない「琉球独立論」をもてあそんでいる編集者や大学の先生〉をも批判していた。そして彼は、「少なくとも、この(沖縄の)貧しさを直視するところから小説を書いていきたい」と表明していた。だめなところをしっかりと見届けることのできる、作家の確かな目を感じさせてくれる。
さわやかな欠如
その目取真俊は、清田政信について、次のように紹介している。〈清田政信は一九三七年、久米島に生まれ、琉球大学入学後『琉大文学』の中心メンバーとして活動した。六十年代から七十年代の沖縄の詩人の中で最も精力的に詩と批評を書き、大きな影響力を与えた詩人である。学生時代、沖縄の詩人や小説家の作品を読み進める中で、私が最も強い印象を受けたのは清田の詩や批評であった。〉〈「南島」の「風土」や「土着」に無批判に依拠する事無く、また六十年代から七十年代の政治状況に埋没することもなく、表現者として自立するためには何がなされなければならなかったか。清田は、先行する五十年代の詩人たち(新川明・川満信一)を、苛酷な政治状況に突き動かされて安直なプロパガンダに陥ったとして批判し、同時に「南島」の風土に寄りかかった素朴なリアリズムをも否定する。そして「不可視の内部を見る方法」としてのシュールリアリズムの方法を駆使しつつ、状況論を超えた沖縄の問題性の本質に迫るために自らの内なる沖縄の表出を目指し「抽象」へと向かう。〉(「叙説XV」より)
確かに、清田政信を知る者から見れば、先のパフォーマンス詩人の表現は、当人らの熱意とは裏腹に、安直なものとしかうつらなかったであろうし、「沖縄現代詩の壊滅状態」を感じさせるものであったかもしれない。ただ、私などは、表層(先の詩時評などの次元)にはたちあらわれてはいないが、すぐれた詩は書き継がれていると思っている。しかし、それらを紹介する前に、沖縄における尖端的な表現者にその深部において影響を与えている清田政信について、もう少し触れておく必要を感じる。