「パーマネント・プレス 18 1996年8月発行」
文学
パーマネント・プレス 18 1996年8月発行
記事内容
連載B■石川為丸 「瀬尾育生論『逃走する虫』補遺 とめどもない言葉の離散化と 低迷する現在詩」
詩■芝紀子「天国の天皇」 井元霧彦「わたし五十九歳日本国憲法五十歳」 金城けい「ユンヌ」 坂井信夫「裂けめ 17」
瀬尾育生論「逃走する虫」補遺
とめどもない言葉の離散化と 低迷する現代詩 (上)
「現代詩手帖」4月号で、〈いま、詩の「新しさ」はどこにあるか〉なるタイトルで瀬尾育生、新井豊美、吉田文憲が鼎談をしている。
だが、それは、残念ながらタイトルとはうらはらで、まるで〈いま、詩の「古さ」はここにありますよ〜〉といった体の、得るところのないまったくなさけない低談でしかなかった。――(略)――。
わしらの向かおうとする詩の新しさに対する反面教師として、彼らの詩の「新しさ」というものを、苦笑を抑えながらも真面目に検討していこう。
オウムと同根の 現在詩人
吉田は、永原孝道という人の「ワードウォーズ」の魅力についてこんなふうに説明している。
「この本の魅力は書き手自身がそのデマゴーグのなかで共振しながら、
自分自身がもしかしたらオウムでありえたかもしれないという痛切な危機意識をもって、なにかそれに突き動かされるようにしながら書いていることですね。」(赤文字は石川・以下も)
しかし、いくら痛切な危機意識と言ったってなあ、「自分自身がオウムでありえたかもしれない」なんてことに魅力を感じて、あんた、いったいどうすんの、とわしら余計な心配をしたくなるよ。でも、文憲はさらに続けて、「けれども、その予感(自分自身がもしかしたらオウムでありえたかもしれないという)は別なかたちでぼくらにもある。」なんてことまで、馬鹿正直に告白しているのだから、もう処置なしってとこ。おいおい、ほんとにだいじょうぶ?
本紙のバック・ナンバーを読んでもらえばわかることだが、わしは数年前から、「現代詩」というサティアン内部で言葉の離脱修行に励む吉田文憲ら現在詩人を、オウム真理教の信徒たちの精神構造となんら変わることのないものと見做し、心温まるようなでーじ親切な批判を続けてきた。にもかかわらず、彼らは反省するどころか、あいかわらずの開き直りをやっているのだ。しに、がっかりだよ。吉田は、永原の、自分自身がオウムでありえたかもしれないという危機意識で突き動かされるようにして書いているところに、魅力を感じちゃってるだけでなく、そういう予感は別の形で吉田らにもある、とまで告白してるんだからなあ! したがって、もう五〇にも近い、いい年をしたオヤジのくせしてハルマゲドンを信じている文憲は、外山という人の詩集を褒めて、「ハルマゲドン以降のキメラの信号、身体の発光がこの詩集の世界そのものの言葉だと思うんですね。」などと小学生の妄想みたいな発言をしているよ。吉田のこういう思いつき、でまかせのままの未整理な言葉の水準で、よくも鼎談が成立するものと不思議である。相手の瀬尾育生も新井豊美も吉田の言葉にまともに付き合っていこうとする姿勢がないので、吉田の言葉は未整理なままに終わっている。(そもそもこの鼎談の低談たる所以は、言葉のキャッチボールが成立していないところなのだ。例えば、吉田は現在を一九三〇年代になぞらえ、一方瀬尾は一〇年代になぞらえている。お互いにそれはどうでもいいことなので、話題は絡まるところがない。まともなのは新井だけである。気の毒なことに、新井は自分の記憶の風景から語ろうとするので、彼らの手前勝手な話題から取り残されてしまっている)。
こういう未整理な言葉群を相手にするのはでーじ消耗ではあるが、乗り掛かった船だ。暫くの間、まともに付き合ってみることにしよう。
とは言ってみたものの、すぐに気持ちはぐじゃぐじゃになってしまうんだよね。だって吉田はさらに続けてこんなナサケないことを言ってるんだもん。「この詩(外山という人の詩)はぼくからも遠くないし、瀬尾さんからも遠くないと思うし、オウム的なものからも遠くない。ここにはひとりのアンダーグラウンドの世界を生きる植物人間が横たわっている。そこで生々しく発光しているものがあり、そこからやってくるかすかな切実な声がある。」だってさ。なるほど、吉田文憲のすぐ隣には、サティアン内の世界を生きる主体(サブジェクト)を尊師に隷属(サブジェクト)させた人間離脱の修行に励む信者が横たわっているということなんだな。
彷徨する魂の、「放棄」の表現
彼らがこんな情けない表現の場所にまで落ちこんでしまったのは、それなりに必然のなり行きであったとも言えよう。吉田は五年ほど前、〈我々(文憲たち)がかつて、ラディカリズムと呼んだあの世界に対する異和や「否定性」によって生きる意味を見出だしていた場所などもうどこにもないのだ。〉(「ディスコミュニケーションという場所」・「現代詩手帖・91年12月年鑑」)などと嘆息していた。だが、このように、何の羞じらいもなく、お文学的なもの言いをする輩ほど、実際にはラディカリズムからも、「異和」や「否定性」なるものが指し示すところからも、ほど遠い所にいたはずである。文憲のこの発言は、彼の70年代の生が、ラディカリズムとはほど遠い、早稲田の革マルの学内一元支配の元で何もしないで日和っていただけだったことなどを考慮に入れるとすると、むしろ後半部分、「生きる意味を見出だしていた場所などもうどこにもないのだ」という不定感の方に重点が置かれていたのだろうと思われる。そのとき、彼は、「われわれ(吉田など)のどこにも至り着かないこの地上での彷徨がもはや自明のものとなった」などと精神の不定感を何の抵抗感もなく表明していたのだからね。
ともあれ、文憲の90年代の生は世間に対する親和や「肯定性」とともにあったはずである。そして詩の面では、不定感からくる悲惨の垂れ流しとして表現されている。
実際、こういう浮遊する魂は、意外とその場しのぎで情勢に対応することは、じょうずなものである。すぐ思い付くのは、数年前の「鳩よ!」に掲載された彼の「湾岸戦争詩」をめぐる問題への対応の仕方である。吉田は、商業詩誌「鳩よ!」の編集部から送付された〈油にまみれたペルシャ湾のウミウの写真〉に応じてほいほいとお手軽な湾岸戦争詩を書いてしまった理由として、他の商業誌の十倍の原稿料を貰えるから(金が欲しかった)などと告白していた。だが、原稿料をもらっちゃった後では、ちゃっかりと自分の事は棚に上げて、「大衆感情に依りかかりながら、きわめて隠微なかたちでだがほとんど臆面もなく大文字の『正義』をふりかざしている」などと『鳩よ!』編集部の悪口を彼は言いまくっていたのだ。こういう彼の仁義なき調子の良さには、さすがのわしらも舌をまいてしまったものだ。節操なんかいらないよ、銭のためなら何でもやりますという逞しい精神。「世界に対する異和や『否定性』によって生きる意味を見出だしていた場所などもうどこにもないのだ」と思ってしまえば、なりゆきまかせで、もうなんでもできるのだ。
「文憲と世界の戦いでは、世界に支援せよ」ということなんだな。
確かに、これまでのような「世界に異を唱える」ことでは、もう「異を唱え」られないところに世界のありかたは来てしまっているという認識は、わしらにもあるのだが、そのまま世界のなりゆきに身をまかせていこうとする吉田文憲などの「放棄」の表現には、はっきりと「異」を唱えておきたい。吉田文憲ら低迷する現在詩人の「詩」という言葉つなぎは、「植物人間」にも「キメラ」にも、世界が人間をしてそのように強いるのだからそうなりましょうという「放棄」の表現なのだ。