「パーマネント・プレス 7 1993年10月19日発行」
文学
パーマネント・プレス 7 1993年10月19日発行
「現在詩人」批判 吉田文憲の巻
空白を流れる抒情 (下)
石川為丸
今さらの、ディスカバー・ジャパン=日本探しの旅
「婉曲、曖昧、不確定」が彼の詩の「抒情」の本質なのだ。例えば、吉田の詩「閃光」の部分。「私はだれかの名を呼んでいた」「うすあかるい窓の外にぼおっと火の手があがり」「それは夢の中で」「二日前だったが、三日前だったか」「ああ、妙な光を発しているな」「だれの語りか」「幻の人は」「白い影」「あれは満月の夜だったろうか」「記憶にもない、あのときと言うべきだろうか」「その夜をただよううつしみ」「つぎの世でふるえているだれの声」など、一編の詩がくもりガラスを透かして見たような不確かな像とそれをさらに進めるための疑問や不確実を示す語の多用で織りあげられている。もう少しきちんと引用してみよう。
〈…道の岐の石神の占いは、ひとりの老婆を走らせる。庫のうちでもつれる影、髪ふり乱した闇、息は降れ、形代の影はふれ、私はそこに誕生していた。虫送りされた藁人形。峠のほうから燐の光を放ち、幻の人は飛んでゆく。長い夜の窓のうめきや障子の桟に立ち上がる白い影に脅えながら、私はそこで眠っていた。…〉
失われつつある地方の風物とそこで過ごした幼年期の不安とが曖昧に描かれている。それは現在の彼におしよせているはずの不安というものとは違う。現在に対峙することは避けられ、どこまでも退行的な精神によっている。趣味的な安住の言語とでもいっておこうか。それは彼のどの詩をとっても同じである。「(のこされた日々)」の部分。「ふたたび色あせた回帰だろうか」「(ここでは人称がゆれうごく)」「薄明の円の外へ」「偽りの告白をくりかえしていたのだろうか」「なにがくりかえされていたのだろうか」「亡命する断片と断片のあわいにとぎれてゆく声」「そしていかなる日々がはじまろうとしていたのだろうか」「(なにかを殺したはずなのに…)」など、疑問、不確実を示す語の多用で作品をつくりあげるというお決まりのワン・パターンである。ただ無意識だけが、詩人の追い詰められているはずの現在を露出させている。存在の稀薄感、不定感。「たどるさきからいろあせてゆくこの世の風景 いろあせてゆくこの世の貌」といったふうに。しかし結局落ち着く先は安住の言語圏である。「庭に満ちあふれるヒナゲシの花」などの調和的自然にもたれかかってしまう。〈きらめき/わたる/リンドウ/サネカズラ/ホタルグサ〉の世界。
吉田文憲の詩には文法的な語の表面的な曖昧さと同時に人間の「関係」の曖昧さもあるのだ。人間の住まない、住んでもその生を感じさせないような自然を対象としたところに抒情が成立している。比喩的に言えば、「果樹園の空洞、林檎畑の狂ってゆく月、林檎畑を駈けてゆく白い喪服の笑い声、そして失神する果樹園……」はあるのだが、そこには、林檎の収穫を喜ぶ人間や、台風の被害で苦悩する人間はいないということなのだ。詩人の現実、生への関わり方に、抒情の本質的な位相があるとすれば、吉田文憲の場合に言えることは、彼の生が現実を引っ掻くこともなく、表現が新たな発見へ向かうということもなく、ただ表現の枠の中で、生がすっかりスポイルされうわっすべりに抒情が成り立っているということなのだ。詩人主体抜きの曖昧な雰囲気への言葉の解消により、詩という形を整えるだけで終わっている。吉田文憲のこんな発言が残っている。
〈(…)さっき吉本さんの「言葉の囲い」っていう言い方があったけど、それは詩が修辞的に固着化しちゃったということだよね。要するに、現代詩が定型化したってこと。(…)「詩人」でも「表現主体」でもいいんだけど、そういうものは死んじゃったんだよ。頼るべき内面とか信ずるべき自己なんてものはどこにもなくなって、そこが不定形なものになってしまった〉と素直に自分の心的状況を告白している。彼は、表現として問われるはずの詩人としての内実をあらかじめ放っているのだ。あるのは、白紙を前にして「書くこと」だけの現実、その空白に身悶えしている詩。現在の空虚や不毛にたえられなくなった自己完結の世界。囲いの言葉。時代とつりあうことのできない様式だけが自己増殖していく詩のパターン化が見えてきている。
このように日本的な抒情の類型的なものがためらいもなくやすやすと現在詩人にも受け継がれてきたのだ。このまさに世紀末、わしらの同時代にこうした不毛が安直に再生産されてきた事態を前に、炎の絶えたあとの七〇年代、八○年代におけるわしらの表現としての沈黙はいったい何だったのかと、まさに暗澹たる思いに落ち込んでしまう。
日帝の城内平和の中に主体を解体させた吉田文憲が80年代にその詩でやったことは、結局、ディスカバージャパン=日本探しの旅であったと思う。そうして、「土着」趣味とでもいうべきものを詩の俗世間への「御馳走」として捧げて、彼自身は日本的な統合感性の虚構性に回帰していったのだ。趣味でしかありえない「土着」で塗り込められた彼の詩集に付された「解説」は解説とは言えないほどの閉鎖的なカルトを思わせる愚にもつかぬオマージュの集合体である。わしが読みえた吉田文憲の詩に言及した文の中で、唯一首肯できたものは瀬尾育生の論考「大地を封印すること」だけである。そこで瀬尾は吉田文憲の詩の成り立ちについて、〈血と土の世界を思いのままに繰りひろげながら同時に、この抒情は「作品」という柩の中でしか可能でなく、その蓋を開けてさまよい出ることは決してないのだ、と主張している物語。〉と、よく読み込んだ好意的な指摘をしている。瀬尾には「血や土や根源の威力を背後に感じる、そのような意味での強迫観念は現在、現実的な基盤を決定的にうしなって虚構化されつつある。」という常識的な認識があり、当然吉田文憲もそういう認識はあるだろうと好意的に想定し、吉田の繰り広げる血と土に着いた世界は、吉田が意識的に「隔離の話法」によって成り立たせているのだと最高の評価を与えている。しかし吉田文憲はその好意を悪意と取り違えてあられもない反論を書いてしまった。なぜなら、笑っちゃうけど、彼は本気の本気、「真摯の話法」で血や土や根源の威力を語っていたつもりだったのだから。それが二人の行き違いだったのさ。吉田文憲の時代錯誤は明白である。例えば、“故郷…異郷とはまさに「〈うた〉と禁忌」の場所ではないか。”なんて繰り返し言っている。が、それは吉田文憲にのみあてはまることであって、瀬尾を始めとしてわしらにとって故郷とは、〈うた〉が指しているのはなんだかわからないけど、別に「禁忌」でも何でもないもんね。吉田文憲の錯誤は折口信夫などの文献で得たものを先行させて、それに自分の過剰な思いをあてはめているからだ。文犬だからしょうがないけど、それほど現在から離反してしまっているということだ。「三日間いて、また逃げるような思いで大宮に着くと、激しい耳鳴りがしていることにはじめて気付きました。」という稲川方人の帰郷報告の私信をいたく感動して引用し、「ぼくは自分の十年近く前の故郷再訪、あるいは黄泉帰りのときのことをまざまざと思い起こさずにはいられませんでした。」なんて続けている。おいおい。稲川には、早く耳鼻科に行って診察してもらいなさいとアドバイスしてやればいいだけだと思うのだが、吉田の「故郷再訪」が「黄泉帰り」ってのにはほとほとまいってしまうね。詩集「花輪線」にしても「人の日」にしても、彼が幼少年期を過ごした故郷への再訪の際の偏見を契機にしているが、そこで生き暮らしている人の生と都市で暮らしている彼の生とは今では同一線上にあるということがわかっていない。別の言い方をすれば、彼は幼少年期を過ごした比内という土地の闇への過剰な思い入れはあるが、そこで暮らす人々の昼が見えていないということだ。
虚構でしかない日本的統合感性に解体した主体をあずけてしまうだけで、それを異化する方途を模索することなど考えようもないほどに衰弱している現在詩人は、結局、天皇制の御膝元に向かうしかないであろう。それはいつだって欠けているもののフィクションとしてあらわれてくるものなのだから。