「包丁妻」問題、なんだかえらく反響を呼んでるな(って「お前が広めたからだろーが」とか言われそうだけど)。
不謹慎との誹りを覚悟で言えば、私はこれを笑いながら読んでいる。いや、もちろんこの話自体は本来ならば2人の男女の間のプライベートな(それも極めてシリアスな)事柄に属するものだし、たまさか私が個人的にそういう事例を知りえたというのであれば、こういう不特定多数の人が見る場で書いたりはしないだろう。
しかし、このケースでは当事者である「包丁妻」さんが自ら体験をウェブ上の「日記」で公開している。公開の場でなされる表現というものは、すべからく他者の目に触れることが、他者にこれを読んでもらいたいとの書き手の思いが前提となっている(もちろん、私信の類を書き手に断りもなく大っぴらにされたとかいう場合は別)。そして、公開されたものである以上は、それが日記であろうが、故人を想う悲痛な悲しみに満ちた弔辞であろうが、他者からの「笑いもの」になる可能性を排除できない。ならばこそ、表現者は常に自分および自分のなした表現が「笑いもの」となることを覚悟しなければならない。無論、その読み手が表明した感想なり批評に対して異論や反論があれば、それもまた堂々とやればよいのだ。
しかも、確かこの「包丁妻」さんはジャンルこそ違えど、私と同じ文筆を生業とする方だ。当然、上に述べたようなことをわきまえたうえで公開の場にてああいうことを書かれたのだろうと、同業者としての敬意を込めつつお察しする。自らの苦境を他人に知ってもらいたいとの痛切な思いの一方で、自分を突き放して見たうえで、他人様に提供する笑いのネタとして使ってしまおうという、ある種のしたたかさというかたくましさもそこにはあるのだろう−−と思っていた。
(ちなみに、問題となっているトラブル自体については、私も無責任なオーディエンスの一人に過ぎないという自覚はあるし、「日記」を読んだ範囲のことしか知らないので、どっちが悪いとか何がいけないとかいう論評はとりあえず避ける。まあ、私が知ってるハマちゃんのキャラクターからして「ありそうだな」と思う話ではあるし、だからこそ素直に笑っちゃうところでもあるのだが)
ただ今にして思えば、そうした先の自分の判断が少々甘かったのかなという気もしている。というのは、ここまで「包丁妻の日記」を読んでみた限り、「包丁妻」さんに書き手としてそこまでの覚悟があったのかというと、ちょっと疑問にも思えてきたからだ。それがプロの表現者としてではない、個人的な思いを友人にぶちまける程度のものであったとすれば(そうだと現時点では断言できるものではないが)、そういうものを大勢の人の目に付くように広めてしまった私の判断は甘かったともいえる。
加えて−−トラブル自体には論評しないとかいいながら若干そこに踏み込んでしまうが−−ハマちゃんのああいうキャラクターについては「包丁妻」さんもある程度見極めたうえで一緒になったのだろうと思っていた。だから今になって(それも結婚披露宴からたった1ヵ月後だ)そういうことでトラブルになったということについては「どこまで相手を見定めたうえで一緒になったのかな」という疑問もなしとはしない(それは実際に一緒になってみないとわからないという部分もあるのだろうけど)。
ただ、山本さんが「ニヒリストの憂鬱BBS」で
>でも、あの忘年会や、私は出席しませんでしたが結婚
>披露宴の席上では、彼の人となりについてちゃんと
>知ってる人がいたわけですよね。
>それを彼女に伝える人がいなかったという事実は
>どう考えるべきなのでしょうか。
と言ってたけど、でもこれから結婚することをすでに決めている2人、しかもその時が初対面の「包丁妻」さんにハマちゃん本人がいる前で「彼はこういう男だから考え直したほうがいい」とか言えるわけがない。それに独り者の私がそんなこと言ったって野暮に聞こえるだけだよ(笑)。
でも、確かにそういうことを伝える機会が事前にもっとあれば、私も何か言ったりはしたかもしれない。まあでも、それは今さらここに書いたりしたところで仕方がないのだけど、そういう反省も私自身、なくはない。
さらにもうひとつ、あきらかに疑問なのは、「包丁妻」さんが相手を批判する中で
>でも、最近思うのは、
>オウムのようなカルト集団に入る人は、
>はじめから、一般人とは感覚が異なっているんじゃないか
>ということ。
(中略)
>元オウム信者は、
>社会復帰を叫ぶまえに、
>ひとりの社会人として、誠実であってほしい。
と書いている点だ。
トラブルの背景に「ハマちゃんが元オウム信者だった」(らしい、と、これも断言するわけにはいかないのがややこしいところだけど)ことがあるとの可能性は私も必ずしも全否定はしないし、そこは考えられてもよいと思う。また、後段については一般論として賛成する。
ただし、この文脈でいきなり「オウムだったから」という論拠を持ち出すのはいささか飛躍がありすぎる。何より書いたご本人が
>あたしが深くかかわった元信者は、彼だけだから、
>彼ひとりを見て、元信者全体を見るのはいけないとも思う。
ということをわかっているのだ。だったらなおのこと、そうした書き方は慎むべきだろう。ついでに言っておくと、私は他にも信者や元信者にも会っているし、会っていろいろ話などを聞いたうえで、オウムという存在に対する疑問や違和感を持っているわけだが、そうした経験からしても「包丁妻」さんのその部分の論理展開には明らかに首を傾げたということは言っておく。
とはいえ、確かに本人は今がもっとも辛くて苦しい状況なのだろうし、そうした書き方をしてしまうことには同情を禁じえないところもある。だからこそ思うのだ、「甘かったのかな」と。それは「包丁妻の日記」の著者に対して思うことでもあり、私自身の反省の思いでもある。

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