思い出旅行
昨年末、思い出深い長野県茅野市蓼科町から伊那市高遠町を歩いてきました。
長野は5年暮らした街ですが、その寒さはやっぱり大変で蓼科では観光はほんの少ししか出来ませんでした。気温はマイナスだったと思います。
車で行きましたのでまだ、寒い時には車の中で、暖をとることが出来て良かったです。
スキー場もすでにオープンしていて、スキー客も多かったですね。
私もスキーにすればよかったかな?観光は冬は無理ですね。
一昨年末の日光でも、寒さは懲りているのに、この冬に長野はちょっと、無謀でした。
蓼科から高遠へ行き、気温も少し緩み、観光が出来ました。
ホテルの部屋から見える山々
蓼科パークホテルは20年ほど前の夏に東京の両親と私の家族の6人で宿泊したところです。
夏でしたから、敷地内にあるプールで子供たちを遊ばせたものです。その当時は一泊2万円ほどしましたが、今はホテルも老朽化したのでしょうか?客足が減ったのか、ホテルは大きいのですが、暖房が行きとどいていない館内を歩くのも寒くて大変でした、部屋も寒かったですね、丁度、大寒波到来の日だったのかなー?
白樺はいつ見ても綺麗です。

ホテルの前は蓼科山でした、ぽっかりと頭が出ていますね、このあたりでは高い山です。
パークホテルからほど近い乙女滝だけ見学しました。

滝は半分凍っていました、この場所に立っているだけでも冷たい空気でガタガタしていました。
氷の花
近くにいくつかの滝がありましたが、散策は断念し、次の目的地、とがり石遺跡を目指しました。
20年も前の記憶を頼りにとがり石遺跡を探しましたが、どうやら記憶違い?とがり石歴史資料館なるものがあり、入って係りの方に聞いたところ、「ここですよ」と言われて、ホッとしました、昔は資料館には入らなかったのかな〜?
資料館のなかを一通り見て、縄文時代の文化も読んで、その当時の人々の生活や、衣服、道具なども見ることが出来、体験も出来る資料館でした。
縄文時代の器の模様の付け方なども、体験出来ました。
縄文時代の住居
この地域には遺跡が沢山点在し、発掘作業も長期に渡り行われていたようです。
1時間ほど見学し、次の目的地、茅野から高遠へ向かいました。高遠へは杖突峠を越えていきます。昔は杖突街道と言ったそうです。雪があちこちに見えるようになりました。杖突峠から茅野地内を眺めました。懐かしい風景でした。
杖突峠の目の前には、永明寺山があり、保育園の園児たちはこの山を2時間くらいかけて徒歩で登っていきます。
私には絶対無理だと思いますが、娘などはこの山で足腰が強くなったと思います。
地図とナビを頼りに、高遠町へ出ました。からっ風が強く、びっくりしました。
高遠と言えば桜ですね、4月に桜まつりがあるそうです。次回は4月の桜のころに行きたいですね。昔、実家の父と高遠城址公園へ行った思い出があり、今回はここを選びました。
高遠城址公園北ゲート入り口
桜のころは送迎バスも運行されていて、このあたりの空き地はすべて駐車場になってしまうようです。
北ゲートを入るとすぐに大きな建物が・・・

桜のころなら見事な事でしょう。
南ゲートまで歩き、高遠美術館、高遠町歴史資料館などがありました、その中に、絵島囲み屋敷という建物があり、歴史資料館と共に見学しました。
絵島とは?さて?
大奥の時代の話なのですね、歴史に疎い私は今回初めて知りましたが・・・
江戸からこの高遠へ送られてきた絵島の局が生涯を送った家屋敷が展示されていました。
座敷牢ですね。食事は一日2食、中身も決まっていました。水浴びは1週間に1度、部屋の四方に開かずの錠がかけられていて、素足で一日中、正座を強いられていたようです。
大変な時代でしたね。
絵島の局はこの座敷牢に入れられてから一歩も外へ出ることなく、亡くなったようです。
悲しい物語です。
この日は早めにホテルに入って、明るいうちに温泉へ入りました。高遠さくらホテルです。
今年リニューアルしたということで、綺麗な洋館でした。この日の夕食は旅行では初めての洋食を選び、ワインを飲んで、部屋も洋館にしました。とっても綺麗で満足でした。
ホテルの前は高遠湖です。高遠ダムも見えます。近くに陶芸の登窯があるというので、探したのですが、この日はお休みだったようで、見ることができませんでした。残念。
部屋は綺麗な洋館で・・・
インターネットが使えるということで、部屋にはランケーブルが設置されていました。
今回は蓼科でも、高遠でも、インターネットが使えて良かったです。
次の日は高遠町の歴史資料館を見たり、高遠蕎麦を食べたり、帰りには、馬肉の燻製をお土産に買って帰りました。
高遠町なつかし館では、高遠藩のお抱え医師、眼科医の家が今も残っています。8代続いたこの眼科医は平成14年まで最後の医師の家族がここに住んでいたそうです。5代目の医師は茶道が趣味だったとのことで、茶室もあり、一般平民用の受付と、高遠藩の御侍さん用受け付けは別になっていて、武士は待つことなくすぐに受診してもらえたという話でした。
また、屋敷の天井は高いのですが、鴨居は低く、屋敷内で、刀を振り降ろせないようになっていたと、また、そのころは、2階建て家屋は認められていなかった、その理由には、
2階から街を歩く武士を見下ろしてはいけないとされていたそうです。
が、この屋敷には一部屋だけ2階がありました、ただ、窓はついておらず、納戸のような感じでした。
台所には、囲炉裏があり立派なものでした。平成14年まで暮らしていた家族は、暮らしやすいように家を改築して住んでいたようですが、亡くなってからは、昔のように修復して、展示することにしたようです。
1階だけの建坪が50坪以上ありそうでした。
高遠藩の時を知らせる太鼓が保存されている
高遠そばを食べたお店、華留運「ケルン」という店ですが、店主は多分山岳が趣味のようで、中央アルプスや南アルプスの写真が多く飾ってありました。
また、山岳に使う、1メートルほどのピッケルも飾ってありました。
山への思いが伝わってくるような店でした。馬肉の煮込みを注文してみました、美味しかったし、店主がそっと、道案内の地図を差し出してくれて、暖かな気持ちになるいい店でした。また、春に訪れてみたいです。
帰りの高速は諏訪湖サービスエリアで休憩し、諏訪湖を眺めてから帰ってきましたが、雪がそこまでやってきていて、風はとっても冷たかったです。
粉雪を受けながら運転してきました。

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