*************************************************************************************◇◇◇隠れていて目立たない書物との不思議な出会いによって心の気付きを促す極上の名言集◇◇◇*****************************************************************************************

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ブログ生活の始まり

私は子供の頃から、空想好きでした。

一人でぼんやりしているのが、一番お気に入りで、すこしもさびしいとは感じませんでした。

大人になってからも、どうやら、その傾向は弱まるどころか、ますます磨きがかかってきているようです。

まあ、隠遁生活がお好みで、孤独を愛する風変わりな老人をご想像ください。

気の向くままに、思いつくことを、あてどなく、書きつけてみようと思います。

多少は、人に見られることを意識することにはなりますが、日記の延長として、気楽に書いてみましょう。

隠遁者を気取ってはいても、決して偏屈者の人間嫌いではないつもりです。

昔なら、草の庵を訪ねてくれる友もない、わびしい生活になったでしょうが、
今ではパソコン完備の草庵です。

隠遁もおしゃれなトレンドとなっているのではないでしょうか。
むしろ、うらやましがられているくらいです。

老年期の楽しみのひとつの典型として、大いに隠遁生活をエンジョイしてみたいものです。

そこで、今や、こういうブログという便利なものがある以上、利用しないという手はありません。

そんなわけで、今晩、ブログ生活の出帆となりました。

これから、ぼちぼち書いていきますので、よろしく!!!


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投稿者:whatif

白夜

 ドストエフスキー(著)小沼文彦(訳)(1958/2008)『白夜』 角川文庫



【訳者あとがき】

『感傷的ロマン』及び『ある夢想家の思い出より』という二つのサブタイトルをもつ『白夜』は、1848年『祖国雑誌』12月号に発表された。これは固苦しい説教者と誤解されやすいドストエフスキー(1821〜1881)が、いかにデリケートな愛情をもった抒情詩人であったかを、われわれの前にあますところなく示してくれる愛すべき小品であり、そのテーマは彼が始終愛してやまなかった〈空想家〉の生活記録である。

【引用★珠玉の名言】

(p.42) 「おお、かれにとってわれわれの現実生活がなんでありましょう!空想のとりことなった彼の眼から見ればですね、ナースチェンカ、ぼくやあなたなんかは、じつに怠惰な、のろのろとした、元気のない生活を送っているんです。彼の眼から見れば、われわれはみんな自分たちの運命に不満で、自分たちの生活にうんざりしているんですよ!それに実際、まあ見てごらんなさい、正直なところわれわれのあいだにあるものはなにもかも、ちょっと見たところ、まるで怒ってでもいるように、冷たく、気むずかしい顔をしているじゃありませんか・・・・『可哀そうな奴らだ!』とわれらの空想家は考える。まったくそう考えるのも決して不思議じゃありません!まあ彼の眼の前の魔力にみちた、いきいきとした画面に、じつに魅惑的に、心の赴くままに、果てしなくひろびろとくりひろげられた、この魔力的な幻影を見てごらんなさい。その前景の中心人物となっているのは、もちろん、彼自身、貴重な人格をそなえたわれらの空想家なんです。・・・・」

(p.43) 「なぜならば、彼は希望を超越しているからです。彼にはすべてが備わっているからです。充ち足りているからです。また彼自身がその生活の芸術家であり、時々刻々、自分の新しい希望どおりに生活を創造しているからなんです。なにしろその御伽噺のような、空想の世界たるや、じつに簡単に、じつに自然に創造されるんですからね!まるでなにもかもまるっきり幻影でないみたいなんですからね!まったくのところ、どうかすると、その全生活が感情のいらだちでもなく、蜃気楼でもなければ、想像の錯覚でもなく、それこそ本当に現実的な、真実であり実在しているものと信じたいくらいなんですよ!」


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投稿者:whatif

ブルックナーの交響曲

最近はステレオをガンガン鳴らして、
長時間にわたり別世界に行ってしまうということもなくなった。

若い頃、孤独な部屋で、空想にふけるとき、
音楽は不可欠のツールであった。

初めてステレオを買ったとき、
私はブルックナーしか聴かないつもりであった。

それ以外の曲をかけると、針が汚れると感じたほどだったのだ。
もちろん、あれはまだCDが登場する前の時代のことで、
今から思うと、あのステレオは巨大で重厚長大な姿をしていて、
初任給のすべてを捧げる価値のあるものであった。

そんなわけで、それから数ヶ月は、
友人の所へ食事をしに行ったほどだったのだ。

まあ、そんな私の散財を好意的に評価してくれる友人がいたのは
ほんとうに不思議というほかはない。

ブルックナーだけしか聴かなかった日々があったのだ!
それほど私はブルックナーに陶酔しきっていた。

九つの交響曲の中でも、
3、4、5、6、7、8、9という
1と2の初期のやや軽めの交響曲よりは、
だんだん重厚になっていく一つ一つの作品の、
どれもが私の心の奥深い所で大共鳴する。

30年前もそうだったが、今もなおそうである。

重厚長大であるにもかかわらず、
子どものような無邪気さがある。

純粋無垢な魂がこの世の汚濁に染まることなく、
それでいて目立つこともなく、
人知れず孤独に、野原を歩いている。

そんな風景が私の心には浮かんでいる。

ひとりの修道僧がみずみずしい自然の中で
孤独な草庵生活を楽しんでいる・・・・

大空と大地の間で、
ひっそりと、
誰からも知られることなく、
魂が自分自身を観照しているのだ。

そういう世界の音楽であるブルックナーは、
どの曲もほとんど同じように透明で清涼な雰囲気がある。


「クラシック読本」(1995年)の中で、次のように宇野功芳が書いている。
「ブルックナーの音楽は、ある日、突然分かるのである。そして、分かってみると、今までどうしてこんな魅力的な美しさが見えなかったのだろうと、不思議に思うほどなのだ。」





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投稿者:whatif

ナマ野菜三昧

このごろ我が家では、ナマ野菜のおびただしい攻撃にさらされています。
レタス、菜の花、キャベツ、サニー・レタス・・・など、
その日によって、いろいろですが、大皿山盛り。
食事の最初は、こういう野菜サラダで始まるわけですが、
バリバリ、むしゃむしゃという感じで、
切らないで丸ごとかぶりつきます。

ドレッシングはありません。
私は醤油と酢に漬けておいた小魚と一緒に食べます。
私のアイボは極上のオイル
(なにやら私には理解不能の秘密のオイルです)
をかけているようです。

我が家では、(といっても二人だけですが)
各人がテーブルの上で(つまり、皿の中で)
思い思いに好きなように味付けを行います。

だからといって、菜園があるわけでもなく、
毎回、無農薬有機農法の農家から購入していますから、
我が家のエンゲル係数とやらは、相当なものでしょう。

健康であり続けるための食事は、ほんとうに涙ぐましい努力が必要です!


☆☆☆ナチュラル・ハイジーンという食事健康法があります。
こういう原理主義的な生き方には、
激しい情念すら感じられます。
健康への切なる思いが、内面的に爆発しています。



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投稿者:whatif
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