このたび、長らく住み着いていたAOLブログが2009年1月31日をもちましてこの世から完全消滅することとなり、晴れて2009年1月5日、無事こちらteacup ブログに引越し致しました。 記事内のリンクなどはAOLブログ当時のままでありますので、現在辿り着くことが出来なくなっております。 「このブログを検索」欄にチェックを入れ、検索ワードを入力してから「ブログ検索」をクリックして頂きますと、お探しの記事に辿り着けるかと思います。そして、お手数ではありますが、ブックマークなどの置き換えをして頂けましたなら、わたくし、涙が出るほど嬉しゅうございます。

2009/11/7  23:03

昭和の下宿あれこれ 48  昭和な話

そのようなワケで、如何に不便極まりない下宿環境であっても、昭和の学生たちは自分が不幸だなどとは全く思っていなかった。

が、一方、そうした中でも各々絶対に譲れないこだわりというものも持っていた。

例えば、男子学生にとってのそれは 『ベッド』 だったりする。

「ベッドは男のステータスシンボルだ!」
と、当時の男子学生の皆が、密かに思っていたのである。

とはいえ、世間で言うまともなベッドなどなかなかそう簡単には手に入らない。
そこで、或る者は古雑誌や古新聞を畳みに積み上げ、それをベッド状に平らに均(なら)し、その上にシーツをすっぽり被せて布団を敷き、『ベッド』 と称した。

また或る者は、酒屋から空のビールケースをいくらか譲り受け、それらを土台にして 『ベッド』 と名付けた。

そしてベッドのある生活を夢見てひたすらバイトに励み、本物のベッドが狭い部屋を占領した時、
「これで俺もようやく男になれた!」
と、感慨深い勘違いをするのである。

まあ、ベッドと言ってもせいぜい簡易ベッドの類なのだが、それでもベッドはベッドである。

汚い畳に敷きっ放しのセンベイ万年床とはまるで趣が違うのである。

・・もしも・・もしも、彼女が出来て、
もしも・・もしも、彼女がこの部屋に遊びに来たら・・・

こ、このベッドに・・彼女と二人・・並んで腰掛けて・・
そ、そ、そしたら・・あわよくばベッドに押し倒して・・


・・・と、ベッドが入ったその日から、男子学生の妄想は広がるばかり。

彼らのステータスシンボル、『ベッド』 がもたらす妄想は、汚い畳に敷きっ放しのセンベイ万年床では絶対に浮かばない妄想なのであった。



            つづく





0



2009/11/6  15:43

昭和の下宿あれこれ 47  昭和な話

なぜだか分からんのだが、昭和の下宿は、不便であればあるほど自慢の種であった。
現に、我が下宿を訪れた者の全部が全部、
「おおーっ!!」
と叫んだものである。

これは、正真正銘、賛辞の叫びである。

もしも・・もしも仮にあの時代、学生がキッチン・バス・トイレ・冷暖房・電気器具完備の部屋に下宿していたとしたら・・・

おそらく、
「ざけんな!このやろー!!」
と、袋叩きに遭っていたことであろう。

実際、某私立大に通っていた友人は、当時の下宿にしては膨大な広さである十畳という部屋に下宿していたが、「贅沢な!」「アホか!」と、周りから散々なことを言われて続けていたのである。

学生時代は苦労してなんぼのもんじゃ!!
というのが、昭和の常識。

『若いうちの苦労は買ってでもせよ』
という考え方が、昭和の親世代には浸透していたのである。



       つづく





2

2009/11/5  20:27

昭和の下宿あれこれ 46  昭和な話

部長は、静岡出身であった。
さすが部長!といった具合の大変面倒見の良い素敵な先輩で、下宿にお邪魔することになったときは、後輩としていささか緊張したものである。

「ここなのよ」と言われ、見てみると、入り口がシャッターで閉ざされている。
ザザザーっとおもむろにシャッターを開ける先輩。

中はコンクリート打ちっぱなしのただっぴろい空間。

「えっ?ここなんですか?」
といぶかる私に先輩が、
「ちがうちがう、ここの二階ね」
と、指差す先に目をやれば、ちゃちな掛け梯子(はしご)のような階段が・・。

先輩の後に続いてよじ登ると、その先には小さなドア。

「ええーっ!まさかここが部屋?!」

真っ暗闇の部屋に灯りをともすと、確かにそこには小さなベッドと机が・・

「セ、センパイ・・」

「ああ、ここね、本当は倉庫なの。一階のガレージが大家さんとこの駐車場。で、二階は倉庫だったんだけど、特別に部屋として貸してもらってるの」

「と、特別にって・・」

さすが倉庫、窓が無い。

「で、センパイ、顔なんかはどこで洗うんですか?」
「ああ、ガレージの隅にちっちゃい手洗い場があるから、そこでチョコチョコッと」

毎朝、ハシゴのような階段を上り下りして、そんなちっちゃい手洗い場で洗面デスカ・・
しかも、いつなんどき入庫するやら出庫するやら分からん大家の車の排気ガスも吸いつつ・・

が、先輩はただ笑っているだけだった。
それが何か?という顔をして。

これぞ昭和の下宿、真骨頂!

          

            つづく





1

2009/11/4  23:10

昭和の下宿あれこれ 45  昭和な話

昭和の下宿の良い点は、格差が少ないということである。
当時、数々の先輩や友人たちの下宿にお邪魔したが、設備に関しては五十歩百歩と言ってよいのではなかろうかと思う。(床上浸水や虫の出没頻度、冬季彫刻家に成るか成らないか・・などは別として)

少なくとも、現在、平成の学生たちに人気の冷暖房完備・キッチン・バス・トイレ・電化製品付きなどという物件は皆無であったから、自分だけが恵まれていないなどと嘆く必要は全く無かったのである。

それぞれが皆、相当不便な中、それぞれがそれぞれの工夫をしながら学生生活を送っていたのである。

むしろ、下宿がユニークであればあるほど友人ウケは良かった(単なるウケ狙い)。

そういった意味で、いまだ想い出すのが部活の先輩(女子)の下宿である。
四畳半フォーク的部活の部長であったその先輩の部屋に初めて案内されたときの不思議な感覚・・それは、『衝撃』 とはまた違った本当に不思議な感覚・・・

部屋に入るなり、

「セ、センパイ・・こ、この部屋は一体?!」

と、思わず叫んでしまったのである。



       つづく




1

2009/11/3  18:42

昭和の下宿あれこれ 44  昭和な話

『居直る』 といえば、雪が積もった日もそうであった。

雪などめったに積もらない土地であるはずなのに、年に2度ほど驚かされることがある。
めったに積もらないということは、めったに備えもしないということで、それこそ街はパニック状態である。

ところが、自分自身はもともとが雪国出身なものだから、案外平気で普段通り自転車通学を決行しようとしたりするのだが、なにしろやはり長靴の持ち合わせが無いということは致命的で・・

しかし、このような場面に於いても『居直る』 ということは非常に重要なことで、またもや例の厚底サンダルを素足につっかけて自転車にまたがるのであった。

これ、非常〜に寒い。

しかし、昭和四畳半フォークのヒロインは、みすぼらしければみすぼらしほどカッコいい!と信じて疑わなかったのである。

ということは、我が下宿の相当なみすぼらしさも、案外自分としては 『昭和四畳半フォークのヒロインに酔える』 という点で、かなりの高得点だったのではなかろうか、と今にして思うのである。




               つづく




1

2009/11/2  20:40

昭和の下宿あれこれ 43  昭和な話

いやもう塵も埃も、ゴキブリの死骸を載せた黒船でさえもどうでも良いのである。
こうなったからには、堂々と胸を張って見事に湖を横断してやろうではないか!

『居直る』 とは、生き延びるための重要な能力である、とそのとき学んだのであった。

その翌日、雨は止み、空はウソのように晴れ渡った。
そして湖もウソのように引き、残されたのは、ヨレヨレになったゴキブリほいほいと泥交じりのコンクリート床。

その間、大家が惨劇の様子を見に来た気配もなく、数日後にはカラカラに乾ききったゴキブリほいほい、そして、同じくカラカラに乾ききった泥が、コンクリート床を白く覆っているばかりであった・・。

そんな惨劇が、二年間のうちにあと2回ほど繰り返され、そのうちゴキブリほいほいの原型も相当怪しくなり、存在位置も最初に仕掛けた場所からあちこち移動し、それでもとうとう最後まで始末し得なかったのは、一種の深い愛着からであったろうか・・・


(いや、単に面倒なだけだ)



            つづく



1

2009/11/1  14:04

昭和の下宿あれこれ 42  昭和な話

躊躇しているような場合ではない。
とにかくここを渡らないことには授業に遅れてしまう。

当然のことながら、素足にその厚底サンダル、そしてジーンズのホットパンツという汚れても良い定番スタイルで湖に挑んだのである。

そろりそろりと歩を進めるごとに揺れる湖面・・

湖面・・湖面・・・


・・えっ?!


丁度真ん中あたりに差し掛かった頃、突如目の前に現れたのは・・・

いつの日にか仕掛けた、あの懐かしき・・・


・・・ゴキブリほいほいであった。


それはまさに、湖面に浮かぶ異様な黒船。
乗組員は勿論、大小無数のゴキブリたちである。
それらは、あたかも海賊との戦いに敗れたかのような無残な死体を暗い船内に残していた。

かと思えば、あちらこちらに、舟から投げ出されたかのような死体も・・・


おお!
我は今、この床上浸水という湖に於いて、ゴキブリの死骸たちと共に環境を分かち合っているというのか!

そしてよくよく見れば、かつてコンクリート床に山積していた塵・埃全てが、この湖をクラゲの如く我が物顔に浮遊しているのであった・・。



           つづく




1

2009/10/31  17:41

昭和の下宿あれこれ 41  昭和な話

水深約15cmといったところであろうか、長靴さえあればなんとか渡れそうな深さなのだが、何処をどう探してみたところで、そのようなものは見当たらない。

ここはもう居直るしかないのだが、それでも、多少なりともこの湖に抵抗したい。

そこで登場するのが、当時流行の厚底サンダルである。

『厚底サンダル』 というと、ひょっとしたらギャル系を思い浮かべるかもしれないが、ここでいう厚底サンダルは、それとは全く種類が異なるので要注意だ。

まず第一に、それは男物である。
サイズは26〜27ぐらいであったかと思う。
自分のジャストサイズは23.5〜24だが、めちゃ大き目のをつっかけて履くのがイキだったのだ。(と思っていたのは自分だけだったかもしれない)

そして第二に、その厚底というのは、ただ単に、男物の簡易サンダルの底に分厚いラバー部をつま先から踵まで全く同じ厚さでベターッと貼り付けてあるだけで、要するに、背の小さい男性が台の上に乗って身長ごまかしてます的な上げ底サンダルなのである。

そしてちなみにそのサンダルは、彼氏から奪い取ったものであった。(彼は背が小さかったんだねぇ)

そしてそして更に言うと、そのサンダルは、私が夏場のステージに頻繁に使用していたものであった。(ジーンズの超〜〜ミニマムホットパンツに厚底サンダル、という過激な??出で立ち・・いや、実は授業にもそのような格好で出没していた。単なる貧乏人ファッションとも言う)

さて、前置きが長くなってしまったが、このようないわく付き厚底サンダル・・厚さ10cm以上は当然あったか・・を駆使して湖を渡ることにしたのである。



          つづく





0

2009/10/30  15:46

昭和の下宿あれこれ 40  昭和な話

が、ゴキブリほいほいで大猟だったからといって、容易に滅亡しないのがゴキブリ脅威の生命力の証である。

次から次へと生まれいづるゴキ・・

夏が過ぎ、秋が来る頃には、もうコオロギだかゴキブリだか分からない。
両者の違いと言えば、単に鳴くか鳴かないかだけなのではないか、だととしたら、メスのコオロギはゴキブリとなんら変わりはないのではいか・・などと考察するに至ったのである。

ゴキブリだけが嫌われるこの理不尽さ・・。

そう気付いて後、もうゴキブリを追うことはやめた。
無理して追わずとも、暖房器具の無い極寒の季節が追ってくれるのであった。

ところで、酷暑・極寒の盆地にも、たまには雨が降るのである。
めったに降らない地域であるがゆえ、雨具の備えについては随分おろそかで、傘すらろくに持っていないということに、雨が降って初めて気付くのである。

が、世の中には、神という有難き存在がちゃんといるものだ。
その日の朝、近所のゴミ捨て場に行ってみると、骨が一部折れた黒いこうもり傘が捨ててあるではないか!
神のお恵みは素直に受け取るのが良い。

そのまま、それをさして学校へ行った。

ボロTシャツ・ボロジーンズを身にまとい、オンボロ傘をさしてオンボロ中古自転車にまたがり登校する女の子・・ああ、なんてカッコいいんだ!

・・・と、気分はまさしく四畳半フォークのヒロイン。

さて、酷暑・極寒の盆地にも、たまには大雨が降る。
朝、トタン屋根を打つ激しい雨音に目覚め、雑巾洗い場に顔を洗いに行こうとしたところ、なんと、あの10畳ほどのコンクリート床の雑巾洗い場が全面湖状態に・・

見事な床上浸水である。

幸いなことに、自分の部屋はそこから一段上がったところだったので被害は無かったのだが、とにかく、顔を洗うどころではない。
なんとかその湖を渡って、学校へ行かねばならないのである。
傘の御恵みは受けたが、長靴などというものまではさすがに神は面倒をみてくれない。




              つづく






ブログランキング コラム
0

2009/10/29  14:45

昭和の下宿あれこれ 39  昭和な話

四季があるということは誠に有難いことで、酷暑も極寒も、時季がくればいつしか和らぐのである。(その逆も言えるのだが・・)
『喉もと過ぎれば暑さ忘るる』 を実際に体感するに至ったのであった。

それともう一つ体感したのが、『住めば都』という先人のお言葉。
人間の適応能力は素晴らしいのである。

成るように成る・・というより、成るように成さねばならないのだからやるしかないわけで。
ポイントは、どこまで居直ることができるか、ということである。

出没する虫やゴキブリなんぞに悲鳴を上げている暇があったら、退治する術を考えた方が良い。

・・というわけで、早速実践。
共同雑巾洗い場(本当は共同台所だったのだろうけど・・)に出没するゴキブリを退治すべく、『ゴキブリほいほい』を仕掛けたのある。
ゴキブリは夜行性とのことで、狙うは深夜。
そして収穫の楽しみは朝。

わくわく胸をときめかせ、埃まみれのコンクリート床の片隅を覗き込むと・・・

おお〜〜〜〜っ!

そこには、数え切れない程のゴキブリ群団で真っ黒になったゴキブリほいほいが。

大猟である。

た、大猟なのだが・・

こ、これを・・どうやって・・片付けたらよいのか・・

18歳のうら若き乙女は、始末に終えぬこの有様に、ただただ呆然とその場に佇(たたず)み、放置を決め込んだのであった。


      
            
               つづく






1

2009/10/28  15:19

昭和の下宿あれこれ 38  昭和な話

さて、四つ目の、『全身(頭からつま先まで)をコタツの中にスッポリうずめる』 という方法には、もうひとつ深刻な短所がある。

コタツというのは非常に便利なもので、それ自体が寝床にもなり得る。
そこが曲者で・・

四畳半の部屋に、いくら小さいといえどもコタツをセットしてしまえば、もう床面に余裕は無い。
したがって、就寝時、わざわざ布団を敷こうにも敷く場所がないわけで、しかも暖かいとくりゃ、そらぁコタツで寝るのが一番良いことぐらい誰でも気が付く。

暖かいコタツにスッポリ身をうずめ眠る幸せ・・
ありがたや、ありがたや。

とはいえ、極小コタツのため、足をまっすぐ伸ばせば足先が向こう側からはみ出だし、瞬く間に冷える。
仕方がないので、身を丸めて眠る。
暖かや、暖かや・・・

そんなことを、春が来るまで毎日毎日続けるのである。
その間、約4ヶ月。

すると・・

あ〜〜ら不思議、体がまだら模様に。

つまり、『低温やけど』 である。

今なら、低温やけどという症状を知っているから分かるが、当時18歳のうら若き乙女はそれを全く知らなかった。

こ・・これは何?
もしかして、自分は鹿?
もう人生終わりなの??

と、深刻に悩んだのである。

が、その後春が来てコタツ生活と完全さよならし、いつしか・・そう、夏が来る頃にはまだら模様もすっかり消失し、また普通の人間の皮膚に。

が、次の冬にはもうそのようなことなどすっかり忘れ、またコタツ篭り生活へ。
斯(か)くして、19歳の冬も懲りずに鹿女と化するのであった。

だって、寒いんだも〜〜ん!


・・鹿女への誘(いざな)い。

これがもう一つの深刻な短所である。



            つづく






1

2009/10/27  14:36

昭和の下宿あれこれ 37  昭和な話

当時の下宿生活、自分が試みた究極の寒さ対策の一長一短とは?

1、裸電球に手をかざす

室内の天井からぶら下がっていた裸電球がやけに熱く感じたのは夏だった。
天井が低いゆえ、その熱さが更に室内温度を上げているような気がした。

ならば、冬場にこれを活用しない手は無い。
凍えた手を、裸電球にかざす。

ほのかな暖かさが、指先に伝わる・・

伝わる・・伝わる・・
伝わる・・

伝わ・・


アヂッ!!

いつの間にか、指が裸電球に近付き過ぎ、ヤケド。


・・・これがこの方法の深刻な短所である。


2、ヘアドライヤーの温風で手を温める

ヘアドライヤーといっても、当時はまだ1000ワットや1200ワットなどというパワーのあるものは無かった。
せいぜい200ワットかそこらである。(少なくとも自分が持っていたものはそんな程度)

凍えた手にドライヤーの温風が心地良い。

心地良い・・心地良い・・

心地良い・・けど・・

右手が暖まって左手に替えたらそのうちすぐに右手が冷えてまた右手に替えたらそのうちまた左手がすぐに冷えて、あーこれいつになったら両手とも暖かくなるんや!

・・と両手同時に温まることが出来ないことに気付く(どこかに吊るせばいいだろう〜・・って、吊るす場所が無い)。
ドライヤーを持ち替えながら延々と続けることにより、タコ足配線のプラグ、発火寸前。


・・・これがこの方法の深刻な短所である。


3、電熱器を室内に持ち込む

案外イケる方法かと思われたが、コンセントが一箇所しかない室内のタコ足配線での使用はかなり危険。
やむを得ず、室外の共同雑巾洗い場にあるコンセントから延長コードを継ぎ足し継ぎ足しして室内に持ち込む。

が、外部からコードを引いてきているので、その分ドアがきっちり閉まらず、常時半開き状態に・・

しかも、たかが小さな電熱器一個では到底部屋は暖まらず、しかも閉まらないドアから入り込む隙間風で寒さはいっそう増すばかり。


・・・これがこの方法の深刻な短所である。


4、全身(頭からつま先まで)をコタツの中にスッポリうずめる

これはまあ、全身コタツに身をゆだねる格好になるわけだが、スッポリ入ってしまえばさすがになんとか暖かい。

が、中で食事が摂れるわけではない。本が読めるわけでもない。勉強ができるわけでもない。
コタツにスッポリ埋もれていると、生活活動が完全にストップしてしまうのである。

しかも大変息苦しい。

そのうち、自分が一体何のために故郷を遠く離れて生きているのかサッパリ分からなくなり、言い知れぬ不安に陥る。


・・・これがこの方法の深刻な短所である。



          つづく






0

2009/10/26  15:39

昭和の下宿あれこれ 36  昭和な話

その前に、甲府の冬というのがどれほどの寒さなのかというと、これがなかなか大した寒さなのである。
もっとも、日本全国、冬といえば大概の地域が寒いわけなのだが、中でも盆地という地形が生み出す寒さというのは一種独特である。

夏はとことん暑く、冬はとことん寒く・・
寒い割には殆ど雪が降らず、たとえ降っても♪粉ぁ〜〜雪ぃー♪程度。(レミオロメンは山梨県出身)

冬場でも晴天が多いので一見暖かそうに見えるのだが、骨身にしみる寒さはハンパではない。

昼間の晴天に誘われて、外に洗濯物を干しておくと、あ〜ら不思議、いつの間にか手触りサラッサラ。
さすがに乾くの早いなぁ〜と喜んで取り込んでみれば、手触りサラッサラというよりパリッパリ。

・・単に凍っているだけなのであった。

道路なんぞは、すっきり乾いているのかと思えばツルッツル。
何度か自転車ですっ転んだ記憶が・・。

そんなわけで、高気密高断熱とは真逆の、隙間風全入屋外同然の下宿部屋室内は冷凍庫同然なのである。

そのような状況に於いて、コタツ一個というのは非常に心もとない。

そんな中、とにかく着る物でなんとかしようと考える者は、たっぷり綿の入った半纏(はんてん)・どてらなどを着込んだ。
これは言わば、掛け布団を上着に仕立てたようなものである。
(中身は羽毛ではないが、和風ダウンジャケットとも言えよう)

が、それで寒さが解決するわけではない。

ちなみに、自分の場合はどう乗り切ったか、というと・・

1、裸電球に手をかざす

2、ヘアドライヤーの温風で手を温める

3、電熱器を室内に持ち込む

4、全身(頭からつま先まで)をコタツの中にスッポリうずめる

なのだが、それぞれには深刻な一長一短が・・・



           つづく





0

2009/10/25  12:06

昭和の下宿あれこれ 35  昭和な話

前回、下宿生友人の暑さしのぎの方法を一つ載せ忘れた。
もっとも、この方法を実践するには、恵まれた二つの絶対条件が必要なのだが・・。

その1、室内に水道設備がある、ということ。
その2、水道メーターが個別に付いていない、ということ。

してその方法とは・・・


水道の水を、常時チョロチョロ流しっ放しにしておく、という技である。
勿論、室内にいる時だけで良い。

その狙いは・・・

「なんかさぁ、水の流れる音が聴こえてると涼しい感じしない?ねね、するよね?」


・・・返答に困る私であった。


技でもなんでもない、ただの錯覚を利用しただけの苦肉の策ではあったが、このように皆必死だったのである。


では次に、極寒の季節 冬の過ごし方。

当時の冬は、夏に比べ、より死に近かったかもしれない。
いわゆる、凍死である。

とにかく寒い。
が、当時の暖房器具といえば、コタツか石油ストーブぐらいなものである。
(火鉢を下宿に持ち込む学生はさすがにいなかった)

しかし、安全面の配慮からか、石油ストーブを使用している学生は自分が知る限り皆無であった。
安全面というより、給油の手間が面倒ということの方が大きかったかもしれない。

ということで、やはり手軽感から、コタツが主流となる。
大概の学生が、小さなコタツを使用していたようだ。
コタツは非常に利用価値があり、食事の時は食卓に、勉強の時は学習机に、男子学生四人集まれば雀卓に・・(?)

しかし非常に残念なことに、コタツというのは、その中に入っている部分は暖かいのだが、入りきらない露出部分は、おっそろしく冷えているのである。

つまり、コタツは部屋全体を暖めてくれる暖房器具ではない!ということをイヤと言うほど思い知らされるのである。

部屋中の空気が凍え、吐く息が白い。
室内とは思えぬ寒さに、身が縮み、ペンを持つ手も凍え文字が書けず・・

手袋・マフラーを始めとする防寒具一式を身にまとっても、寒さは増すばかり・・

さて、このような状況の中、生き残る術は如何に??




            つづく






0

2009/10/24  17:20

昭和の下宿あれこれ 34   昭和な話

昭和の下宿、お次のアイテムは、『厳しい季節の過ごし方』 である。

どんなに狭くみすぼらしい下宿部屋であろうとも、春・秋はなんとか生きて行くことは出来る。
が、これが夏や冬となると話は別である。

まずは、夏の過ごし方。

昭和50年中期と言えども、冷房は一般家庭にもさほど多くは普及していなかった。
当時はまだ『エアコン』などというものは登場しておらず、『クーラー』というガーガーやたらデカイ音を立てるものであった。

大概は、窓を開け放して風通しを良くしたり、簾(すだれ)などで直射日光を遮ったりで、機器として唯一頼りになるのは扇風機のみであった。

そのような状況であるからして、当然、当時の下宿部屋にはエアコンなんぞあろうはずも無い。
大体が、小型扇風機かあるいは手動(うちわ)である。

当時はまだ地球温暖化などという現象が叫ばれていなかったので、暑さはそれほどでもなかったろう、などと思ったら大間違い!
夏は夏。いつの時代も暑いに決まっているのである。

とくに、下宿部屋というのは構造上だかなんだか知らんが、やたら風通しが悪い。
ただただグッタリ、夏が過ぎ去るのを待つしかなかった。

ちなみに、天井の低い平屋のトタン屋根であった我が下宿は、小型扇風機が熱風をひたすらかき回しているだけなのであった。

それでも何とかやり過ごさなければならないので、洗面器に水を汲み、それにタオルを浸して軽く絞ったタオルを首に巻きつける・・というオッサンスタイルで夏に挑んではみたものの、汲んだ水さえも瞬く間に生ぬるくなり、一体どうやって生きていたのか、今となっては殆ど覚えていない。

ただ、当時の下宿生たちの皆が皆、そのような状態であったので、うだる日々を当然のこととして受け止め、まあしゃーないわーといった感覚で過ごすことが出来ていたのではなかろうかと思われる。

エアコン完備の部屋が当たり前のようになっている現代の学生諸君にも、ちいと想像してみて欲しい世界である。



           つづく




0



Powered by teacup.ブログ “AutoPage”