2009/5/30 19:50
『ロンバルディア遠景』 諏訪哲史 を語るには・・ (7) 本
もしかして・・
この小説は、諏訪哲史氏ご自身の告白・・・
ホモセクシュアルという・・
と、読者が想像すること、これ即ち、下種の勘繰りというものであろうか、否、これこそが、諏訪氏が読者に仕掛けた罠、まさに思う壺といったところか。
高尚で多彩なテキストの多種引用、そして、それら以上に多種多様なエピソードの数々、時系列をまるで無視したコラージュ・・
到底、小説としては成り得ない構成が、現にこうして小説として成立を果たすことで、
『小説とは、やむをえず詩が弛緩した形式』
であることを、証明したのであろうか。
それも、秘められし文字の花園・・愛の詩として・・。
しかし、この作品は、『愛』 について語ったものではない。(素直に、『純愛小説』として読むことも出来るが、それだけではあまりにも勿体無い)
ましてや、40前男の、美しき少年(大人に手が届きそうで届かない年代)に寄せるホモセクシュアルな愛の形を描いたものでもない。
かといって、単なる卑猥でグロテスクなゲテモノ小説でもない。
しかし、下手に浅読みされれば、忽ちの内に総叩きの憂き目に遭うやもしれぬ。
かなりの危険を覚悟した作品であることは確かであろう。
が、この作品には、そうした危惧を無にする武器がある。
それは、古典的ともいえる高尚なテキストの引用、ルビ無しでは読めないような難解な語句の多用、一分(いちぶ)の隙も狂いも与えない完璧で重厚な文体・・それらが相俟って、全ての場面が、卑俗から高貴へと、次々に染め変えられていくのである。
その究極ともいえるのが、マジョーレ湖の娼館で発せられた、老神父のセリフの数々であろうか。
それにしても、おそらくは最も崇美なる婬売窟・・の祭儀の件(くだり)は、何か参考テキストのようなものが存在するのだろうか。
それとも、作家 諏訪哲史氏のオリジナルなのだろうか。
その描写に至っては、未来の誰かの作品に、テキストとして引用されるのではなかろうか、と思えるほど圧倒される。
特に、女陰たちの発する「ア、」と「あ、」の差異、その全き原音の「あ、」が無限のエロティシズムの源泉である、といった表現(発見)は、まさしく充血ものであった。
あるいは、そういった婬行な場面だけでなく、篤が描く短編のグロテスクさには、耐え難いおぞましさが存在し、一歩間違えば・・といった異常で病的な危うさ、それらにも圧倒されてしまった。
が、所々に挟まれる、自嘲的ともとれる井崎のモノローグに、ホッとしたりもするのである。(決して諏訪氏の思考が病的で異常なわけではない、という証明でもあるので)
それにしても、もうそろそろ自分を 『ロンバルディア症候群』から解放してやらねばならない、と思う。
そのためには、ここらで何かをまとめなければ、と思うのだが、一体なんとまとめれば自分は納得できるのだろう。
例えば、
この作品の印象的な箇所に付箋を付けることを試みたならば、それが前頁に及んでしまった、
とか、
もしこの作品を多言語に忠実に(語感を損なわず)訳そうと試みたならば、果たしてそれは可能なのか?、
とか、
諏訪氏がこのような作品を書くに至って、もしかしたら、川上未映子の『先端で、さすわさされるわそらええわ』の書評を書いたことが何らかの影響を及ぼしているのではなかろうか、
とか、
およそ、まとめには似つかわしくない事柄が、うようよ頭の中に湧いてくるのである。
そこで、最後に、このシリーズのタイトル、
『ロンバルディア遠景』 諏訪哲史 を語るには・・
の『・・』の部分に文字を入れて、完成させて終わろうかと思う。
それは・・
『ロンバルディア遠景』 諏訪哲史 を語るには、時期尚早
・・ということで、
今回のシリーズの不出来の言い訳として、このタイトルの完成で、終わりとする。
※ ※ ※ ※
『アサッテ』三部作(と、敢えて言ってしまおう)、それら三種三様の明後日に、作家 諏訪哲史氏の表現や思考の幅広さ、奥深さを強く感じさせられた。(相変わらず、仕掛け満載である)
特に、今回の作品に関しては、全く想定外の危険区域乱入に息を呑んだが、それゆえにまた次回作への期待もますます高まるというものである。
もしかしたら、この作品を完成させるにあたり、アサヒに連載なさっているコラムは、諏訪氏ご自身の、精神の平衡を保つための安定剤的役割も果たしていたのではなかろうか。
単行本の表紙も大変楽しみである。
(三冊に彩られる我が家の本棚の姿を早く見たい)
その日まで、アウフビーダーゼエン!
(了)
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この小説は、諏訪哲史氏ご自身の告白・・・
ホモセクシュアルという・・
と、読者が想像すること、これ即ち、下種の勘繰りというものであろうか、否、これこそが、諏訪氏が読者に仕掛けた罠、まさに思う壺といったところか。
高尚で多彩なテキストの多種引用、そして、それら以上に多種多様なエピソードの数々、時系列をまるで無視したコラージュ・・
到底、小説としては成り得ない構成が、現にこうして小説として成立を果たすことで、
『小説とは、やむをえず詩が弛緩した形式』
であることを、証明したのであろうか。
それも、秘められし文字の花園・・愛の詩として・・。
しかし、この作品は、『愛』 について語ったものではない。(素直に、『純愛小説』として読むことも出来るが、それだけではあまりにも勿体無い)
ましてや、40前男の、美しき少年(大人に手が届きそうで届かない年代)に寄せるホモセクシュアルな愛の形を描いたものでもない。
かといって、単なる卑猥でグロテスクなゲテモノ小説でもない。
しかし、下手に浅読みされれば、忽ちの内に総叩きの憂き目に遭うやもしれぬ。
かなりの危険を覚悟した作品であることは確かであろう。
が、この作品には、そうした危惧を無にする武器がある。
それは、古典的ともいえる高尚なテキストの引用、ルビ無しでは読めないような難解な語句の多用、一分(いちぶ)の隙も狂いも与えない完璧で重厚な文体・・それらが相俟って、全ての場面が、卑俗から高貴へと、次々に染め変えられていくのである。
その究極ともいえるのが、マジョーレ湖の娼館で発せられた、老神父のセリフの数々であろうか。
それにしても、おそらくは最も崇美なる婬売窟・・の祭儀の件(くだり)は、何か参考テキストのようなものが存在するのだろうか。
それとも、作家 諏訪哲史氏のオリジナルなのだろうか。
その描写に至っては、未来の誰かの作品に、テキストとして引用されるのではなかろうか、と思えるほど圧倒される。
特に、女陰たちの発する「ア、」と「あ、」の差異、その全き原音の「あ、」が無限のエロティシズムの源泉である、といった表現(発見)は、まさしく充血ものであった。
あるいは、そういった婬行な場面だけでなく、篤が描く短編のグロテスクさには、耐え難いおぞましさが存在し、一歩間違えば・・といった異常で病的な危うさ、それらにも圧倒されてしまった。
が、所々に挟まれる、自嘲的ともとれる井崎のモノローグに、ホッとしたりもするのである。(決して諏訪氏の思考が病的で異常なわけではない、という証明でもあるので)
それにしても、もうそろそろ自分を 『ロンバルディア症候群』から解放してやらねばならない、と思う。
そのためには、ここらで何かをまとめなければ、と思うのだが、一体なんとまとめれば自分は納得できるのだろう。
例えば、
この作品の印象的な箇所に付箋を付けることを試みたならば、それが前頁に及んでしまった、
とか、
もしこの作品を多言語に忠実に(語感を損なわず)訳そうと試みたならば、果たしてそれは可能なのか?、
とか、
諏訪氏がこのような作品を書くに至って、もしかしたら、川上未映子の『先端で、さすわさされるわそらええわ』の書評を書いたことが何らかの影響を及ぼしているのではなかろうか、
とか、
およそ、まとめには似つかわしくない事柄が、うようよ頭の中に湧いてくるのである。
そこで、最後に、このシリーズのタイトル、
『ロンバルディア遠景』 諏訪哲史 を語るには・・
の『・・』の部分に文字を入れて、完成させて終わろうかと思う。
それは・・
『ロンバルディア遠景』 諏訪哲史 を語るには、時期尚早
・・ということで、
今回のシリーズの不出来の言い訳として、このタイトルの完成で、終わりとする。
※ ※ ※ ※
『アサッテ』三部作(と、敢えて言ってしまおう)、それら三種三様の明後日に、作家 諏訪哲史氏の表現や思考の幅広さ、奥深さを強く感じさせられた。(相変わらず、仕掛け満載である)
特に、今回の作品に関しては、全く想定外の危険区域乱入に息を呑んだが、それゆえにまた次回作への期待もますます高まるというものである。
もしかしたら、この作品を完成させるにあたり、アサヒに連載なさっているコラムは、諏訪氏ご自身の、精神の平衡を保つための安定剤的役割も果たしていたのではなかろうか。
単行本の表紙も大変楽しみである。
(三冊に彩られる我が家の本棚の姿を早く見たい)
その日まで、アウフビーダーゼエン!
(了)
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2011/8/4 14:41
投稿者:管理人ウィドー
2011/8/2 14:56
投稿者:諏訪さんのファン
はじめまして。
突然失礼致します。
ネタバレですが、この小説は、諏訪さんとその周りの環境を知っていると、恐ろしい超のつく問題小説であり、反逆である、と申し上げましょう。
突然失礼致します。
ネタバレですが、この小説は、諏訪さんとその周りの環境を知っていると、恐ろしい超のつく問題小説であり、反逆である、と申し上げましょう。
コメントありがとうございます!
なにやら非常に興味深いコメントを頂きまして、ますます想像が膨らみました。
おそらく、諏訪氏と個人的なお付き合いなどのある方々は、氏の作品について、一般読者とはまた違った読み方が出来ているのでしょうね。大変羨ましいです。
願わくば、もっともっとネタをバラして下さい。