2008/7/2
いたむ つたえるということ

マンガやゲームが好きで、インターネットをやってて、秋葉原の街に来たことがある人をオタクというなら、交差点に花の山をこさえていた人たちもそうなのだろう。
一人が害し、これだけたくさんの人が悼む。
たくさんの人が悔やんで、悲しんでも、たった一人が害したものは戻らない。
それはオタクという集団の枠を越えて、ひと全体にとっても同じことだ。
悼んでも、戻らない。
戻らないから悼む。
だから命を害することは忌避され、憎まれて当然なのだろう。
使命感や正義感に駆り立てられているわけじゃない。しかし誰であってもこれを、オタクとか負け組とか、一見自分と無関係の集団での出来事と押しやって、安心してはいけないと思う。
オタクの中から加害者が出るなら、もはや、彼らは一見普通の社会の中にひそんでいるのも同じことなのだ。
私たちネットワーカーは今、オタクという、見えない、果ては意味のない垣根を越えて、なにかをつたえることができるだろうか。
なにもできないから、じゃない、わたしたちは歌うことができるのだ。
※6/14に献花に行ってきました。まとまらないメッセージを携帯のメモリの奥にしまい込んでいたのですが、今ふたつの動画に触れて、まとまらないものはまとまらないままでも、公開することを選びました。
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