『鬼平外伝 夜兎の角右衛門』
2011年3月21日(月)20:00 時代劇専門チャンネル(1月3日 スカパー!で先行放送)
監督:井上 昭 脚本:金子成人(原作:池波正太郎)
池波正太郎“鬼平”の世界では、「人を殺さず、女を犯さず、貧しき者からは盗まず」という盗賊は“本格派”の盗賊ということになるらしい。で、なかなかチャーミング。魅力的なキャラクターの盗賊を登場させるとき上の三カ条を遵守することにでもしておかないと、読者なり視聴者なりが困ってしまうとか、公序良俗に反するとか、そんなことでもあるのだろう。
時代劇専門チャンネルでは『夜兎・・・』に関連して『鬼平特集・盗賊の美学』というのをやっていて、チャーミング本格派盗賊たちが登場する。二代目夜兎の角右衛門(中村梅雀)は、しかしながら、彼らほど盗人としてステキではないのだな。盗みに入った大店で縛り上げた主人たち相手に、盗られて困るところからは奪わない、大店の金の中には貧しい庶民からせしめたものもあるのだからそれを取り返す・・・などとお目出度く能書きをたれる角右衛門。お店の主人の「そんな、手前勝手だ!」の叫びがよくわかる。それに対して、「盗人にも三分の理だよ」とニタニタ顔で返す前砂の捨蔵(石橋蓮司)のほうが、何か納得できちゃう。もったいぶった儀式をして“夜兎”の名前とともに受けついだ三カ条だけれど、そうか、ありふれた諺程度のスローガンなのか、とね。そういえば、夜兎襲名の席で角右衛門が掟三カ条の書付を飲み下すとき、くちなわの平十郎(本田博太郎)は目を伏せてたな。意味はわからないけれど、並みいる盗賊の頭目たちの中で彼が後々角右衛門の運命に関わることになるという徴には見える。さて、このくちなわの平十郎は『蛇の目』のくちなわの平十郎なんだろうか?
角右衛門のお目出度くも手前勝手な本格派ぶりは、片腕の女乞食・おこう(荻野目慶子)との遭遇でも遺憾なく発揮される。盗人でありながら見た目はどこかの商家の旦那で、実際、妻子とぬくぬくと暮らしてる(ええい、お前、大店から取り返したという金は貧乏人に返したのかい?返してないだろ)。おこうは、「世間の余り物で暮らしているのだから、拾い物は返す」。何にもなくても、人として生きてくことの支えだねぇ。鰻食わずに死ねるかってのも生きる支えだったのかな?
ちょっとメモ:
角右衛門がおこうに鰻をふるまうきっかけになるのは、お店の金を置き忘れて周章狼狽する清太郎(林家三平・・・やっぱ、セリフが落語に聞こえるね。こういうのは、いいんだか、悪いんだか)。角右衛門がおこうを連れだというので、「え?」そして、もう一度「え?」と繰り返す鰻屋の女中(ゴメン、女優さんの名前知りません)が気に入りましたね。
角右衛門は、例の三カ条のひとつが七年前に破られていたことを知り、それでなんやかんやですが・・・自訴して出て火盗改めのところで鮫島久兵衛(平泉成)に、夜兎の看板はおこうのそれとは違ってただの飾りだと喝破されたり、石川島の人足寄場で藤蔵(左とん平)を看取ったり、結局、名前を変えて世間に戻ってきたり、こういうところで、あまり角右衛門の様子が変わらないのが残念。侘しさみたいなのを漂わせてくれないかな?やっぱり、角右衛門はお目出度さは変わらないまま密偵を引き受けたんだろうか?捨蔵にあっさり夜兎の三カ条はタダの飾りだったとか言ってしまうところをみると、そうなのかもしれない。捨蔵は義理堅く、角右衛門の裏切りは誰にも言わないと去ってゆく。捨蔵の寂びた声がとても暗黒。石橋蓮司は凄くいいんだけど、中村梅雀とは、う〜む、バランスが悪いような気がする。特に、この密偵になった角右衛門と捨蔵の栄やのシーン。中村梅雀の芝居が当たり前すぎるのか?
細かいところまで当たり前でないことをするのが本田博太郎。川越にとぐろを巻くくちなわの平十郎。
秩父の三峰山に行く途中だという角右衛門に、「うそはいけねえよン」と猫なで声。「二代目とくめりゃ百人力なんだがねぇ。頼むよ」と盃を差し出すそぶりをしながら、角右衛門が手を出そうとすると自分で飲んぢまう。火盗改めにひっ立てられながら、角右衛門に「覚悟するんだな」と歯をむき出し目をぎらつかせて捨て台詞を吐く。なかなか尋常ではないですよ。で、転がり出た木仏をあわてて拾おうとするとか。『蛇の目』のくちなわの平十郎の二面性と通じるんだろうか?
かつて平十郎から預かった名草の綱六がおこうを斬ったために、角右衛門は火盗改めに自訴することになり、盗賊をやめて改心して密偵になった。密偵となってからは、次々、先代や二代目夜兎に近しい盗賊たちの捕縛に協力した。とすると、平十郎捕縛の手引をするのは、鮫島久兵衛がいうほど、取り立ててつらい任務だったのかどうか?

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