先週は載ってなかったのに、今日の夕刊のシネマガイドには
『獄に咲く花』が紹介されていました。どうやら1週間で打ち切りではなく、もう少しやるらしい(23日まで?109シネマズ川崎は23日が最終だそうですが・・・)。
紹介文の中に高須久(近衛はな)について
“身に覚えのない罪で投獄されてしまった彼女”
とあるのだけれど、これは変だな。
人々がうわさする“姦淫”は身に覚えがないとしても、映画の中では、卑しい身分の三味線弾きを家にあげたことが社会規範に反するとして野山獄に入れられたことは認めているのだから。久は、卑しい身分の者とを親しくすることは規範違反であることは知っていても悪いこととは考えていないのだから・・・思想犯というか確信犯といっていいのではないか。その点は、密航に失敗して自訴したけれど悪いこととは考えていない吉田寅次郎と同類。久が、野山獄で絶望していたのは、自分自身のことよりも久に呼ばれて来ていた三味線弾きが死罪になったためなんだろうな。このことも、自分に従ったために捕えられついには岩山獄で獄死してしまった金子重之助を嘆く寅次郎と重なりますね。
そもそも野山獄というのは(と資料を探したけれど出てこないので、ちょっと怪しいのだけれど)
士分の罪人を押し込める牢ではあるけれど、素行不良とか何かで家族や一族が持て余した者を送り込む牢でもあるのです。『獄に咲く花』で、家族から見放されたといって拗ねまくっている河野数馬(本田博太郎)はその典型例。野山獄から生きて出ることは難しいというのは、家族が引き取りを拒否するからです。公設座敷牢みたいなもの。しかし、野山獄のほうが房からの出入りは自由で牢の他の住人や役人と話をすることもできるのだから、座敷牢よりずっとましかも。

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