最近、NHK総合で『ウルトラマン熱中夜話』を再放送していたので、ふと思い出した・・・
1年ほど前(2007年5月下旬)、アクターズプロモーションが東京地裁から破産手続き開始の決定を受けたというニュースが新聞各紙に載っていました。社長は、多岐川裕美の元夫、『ウルトラセブン』のソガ隊員、鹿児島県の犬飼滝で自殺した阿知波信介氏。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_05/g2007052402.html
アクターズプロモーションは、竜雷太とか多岐川裕美が所属していた芸能事務所ですが、博太郎さんもマツ・カンパニー前はこちらだったようです。
『出演者名簿』というものが毎年、著作権情報センターから出ていますが、
1984年版から1996年版までは、博太郎さんの所属はアクターズプロモーション。『出演者名簿』のデータは、前年の10月(最近は9月)に調査されたもので、1984年版ということは1983年10月現在、アクターズプロ所属だったということ。アクターズプロの前は、1981年版から1983年版までは田中プロモーション所属。アクターズプロは、1983年、故阿知波氏や竜雷太たち所属タレント15人が田中プロモーションから分かれて設立したものです。博太郎さんも行動をともにしたわけかな。
三船プロ→田中プロ→アクターズプロについては、次のブログ記事などが興味深いですが、
http://blogs.yahoo.co.jp/sasuraino777/46755044.html
http://toyotei.air-nifty.com/toyotei/2006/01/post_e5cd.html
博太郎さんの場合、田中プロの前はアートプランニング。その前は、昭和53年(1978年)版では現代制作舎。その前は昭和51年(1976年)版までしか見てないけれど、たぶん載ってないね(1975年日生劇場の『リア王』のバーガンディ公とかいうのは勘定に入ってなくて、
1977年くらいの出演だと載るわけか)。
で、文学座の養成所の後、青俳にはいつまでいたのか、『出演者名簿』からはわかりません。どうも、2年目くらいに退団届けをだしていなくなったらしい・・・
産経新聞(2002.03.06)のマネジャー風雲録では、マツ・カンパニーの松野充伸氏は“俳優の本田博太郎と組んで九年になる”とあるから、1993年4月のマツ・カンパニー設立と同時かと思っていましたが、1996年版まではアクターズプロですね。まさか、その頃からアクターズプロは“すでに事務所が機能停止していた”わけではないでしょうね。

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