平安朝末期の歌人で後白河天皇の第三皇女、式子内親王に、秋の色を詠んだ和歌が
『新古今集』にある。
「秋の色は籬(まがき)にうとくなりゆけど手枕なるるねやの月影」という詠草である。籬(竹や柴で目を粗く組んだ垣根)に色々咲いていた草や花はうつろい、秋の趣は疎くなってきたのだが、反対に、私の手枕に馴れてくる閨の月の光よ。と、「うとく」なる籬の秋の色と「なるる」閨の月影を対照させ、秋の深まりの中の孤閨を詠んだのだろう。藤原定家、法然との恋愛関係の伝説がある閨秀歌人の秋思の情が伝わってくる。
「そもそも般若心経と申すお経は文字の数わずか二百六十余文字なれど釈迦御一代の経すなわち天台経、毘盧舎那阿含(びるしゃなあごん)経、華厳経方等(ほうとう)、般若、法華経等一切七千余巻より選み出されたる御経(おんきょう)なれば神前にては宝の御経。仏前にては花の御経。況(まして)家の為、人の為には祈祷の御経なれば声高々と読上れば上は梵天帝釈四大天王、日本国中大小神祇、諸天善神諸大眷属に到るまで。哀愍(あいみん)納受して我等の所願(しょがん)を成就せしめ給ふべし。」とある
『心経奉讃文』であるが朝夕の勤行で謹んで読誦奉っている。「色即是空」「空即是色」と
『般若心経』の一節だけは誰にでも知られている。色とは空なりという場合の色は有色ではなく、形に現われた一切のものという意味であり、空は、実体のないことを意味する「諸行無常」の世界である。
朝から降り続く秋の雨に、昨日とは雲泥差の冷え込みに震えながら秋の色のことを考えていたら、諸行無常の色のことに及んで行った。釈迦が祇園精舎で25年居た。そこに「無常堂」というのがあり、修行僧が病気になって助からないと知ったとき、この堂に自ら入り、静かに死を迎える。この「無常堂」というのはすべて白銀で造られ、周囲の白壁には白骨の絵が描かれ、四隅に水晶の鐘があり、病僧の臨終のときに「無常偈」を説いてひとりでに鳴り出す。その「偈(げ)」というのは、
諸行無常(しょぎょうむじょう=諸行は無常にして)。 是生滅法(ぜしょうめっぽう=是れ生滅の法なり)。生滅滅已(しょうめつめつい=生滅、滅し已(をは)りて)。寂滅為楽(じゃくめついらく=寂滅なるを楽しみと為す)というのがそれである。
色は匂へど散りぬるを わが世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて 浅き夢見じ酔ひもせず
この「いろは歌」はこの「無常偈」からきたものと言われている。花は色美しく咲き誇っていても結局散ってしまうものだが、人間の世の中もまた誰が永遠の生命を保ち得ようか。生滅する現象の世界(有為)を今日こそ越えて、もはや浅い夢に耽って酔いしれることはすまいと、弘法大師の作といわれているのだが定かではない。
秋風が身に染みる頃となり、いろいろもの思いにふけることどもを書いてしまった。
―今日のわが愛誦短歌
・
身はすでに私(わたくし)ならずとおもひつつ
涙おちたりまさに愛(かな)しく 中村憲吉
―今日の駄句
・色即是空秋のいろかな空即是色

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