もう半世紀以上の付き合いであろうか、年の初めの大阪今宮戎神社の「十日戎」の祭礼に縁起物を売りに来る村がある。福俵と呼ばれる米俵を造るのに、米の収穫を待たずに稲穂を切り落とし青い俵を福俵として吉兆(きっちょう=吉慶)として神社に収めている。それとは別に箕に戎面をつけて売っていて祭礼を側面から引き立たせている。少年のころから親について来て売るのが大好きでえべっさんのために生まれてきた申し子のような男がいた。その急死を知らされたのは土曜日のことであった。
奈良市山町に山村御殿と呼ばれている門跡寺院がある。江戸時代後水尾天皇によって創設された寺院で、大和では、中宮寺、法華寺と三門跡寺院になっている円照寺である。その寺をそっと見守っている集落が彼の村である。約2時間をかけて葬式の時間に間に合った。豪壮な昔ながらの邸宅が並んでいる坂を上る。両親の告別式にも参列してその土地のことは知っている。自宅が告別式場である葬式は久しく出会っていない。都会ではもう無くなってしまった儀式が、まだ残っている土地柄である。このえべッさんの申し子のことは追々書くつもりであるのだが、バスの時間があるので村を後にする。対峙する葛城、生駒の山麓も高い土地で大和国原を見下せるのだが、こちら側もまた同じような高地で、大和にこんな景観のよい土地があったのかと感動してしまった。若草山や興福寺の五重塔が遥かに望まれる桃源郷のような場所である。門跡寺院がここに造られた理由が理解できた。
帰りのバスを途中で下車、開催中の第64回
『正倉院展』を拝観に立ち寄った。
平日ではあるが、入館するのに長蛇の列があるのは昔と変らぬ光景である。聖武天皇遺愛の
『国家珍宝帳』の「螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)」が一面出品されていた。螺鈿、タイマイ、琥珀の象嵌(ぞうがん)で迦陵頻伽(かりょうびんが=極楽にいるという鳥)が雲の上を飛ぶ構図を見ていると、いま葬送したえべッさんの申し子のことが想い出されてきて、釘づけにされてしまった。
螺鈿紫檀琵琶
―今日のわが愛誦短歌
・
わが側に人ゐるならねどゐるやうに
一つのりんご卓の上に置く 片山広子
―今日のわが駄句
・秋冷の里に葬列見送りて
東大寺、興福寺、若草山を望む

68