日本のふるき睦月のたのしさを 人に語らば、うたがはむかも
釈迢空。睦月ついたち、という日を特別な日として詠んだ歌人である。この詠草は、昭和24年(1947)の新春に詠んだものである。そして、昭和21年(1946)3月以来、都会地への転入抑制が解除され、終戦時の全国不足住宅戸数420万戸数に対して、130万戸数しか建設されたにすぎず350万戸数が不足している状態であった。初詣の賽銭も小銭ばかりの大不況のなかで迎えた正月であったと伝えられている。
夕刊に斑鳩の法隆寺で防火訓練している写真が掲載されているのを見ていると、あの日、名僧智識といわれ半世紀にわたり法隆寺の管主を務めた佐伯定胤(さえきじょういん1867−1952)が「お止めくださるな。私はあの火の中へいかねばならん。手を放してください。」と燃えさかる金堂の中へ飛び込もうとするのを、寺僧たちが必死に止め、呆然自失して金堂の焼跡に佇み合掌している姿がいまも印象的なことを想い出しているところである。出火の二日前に、境内に住む女性に毒入りの菓子が送られたという怪事があり、放火ではないかといわれたが、壁画を模写していた画家たちが使用していた電気座布団の漏電であることが判明した。
北原白秋に、
「微塵光はやこごるらしほそり木の枯れ木の枝の交じらふ見れば」という佳作がある。 微塵(みじん)。冬の枯れ木となった余分なものがない樹木に微塵の光りを漂わせているところに力を感じている。仏教のことばで、物質の最小単位である極微を中心に、上下四方の六方から極微が結合したきわめてちいさな単位をいうのである。阿弥陀浄土の壁画は放水のために三ヵ所大穴があき、水びたしになった金堂に長時間立ち尽くしていた佐伯管主は、即、その立場を辞退した。暗澹のなかに微塵の光りを見たのであろう。
これを契機に文化財保護法が出来、文化財防火デーが毎年行われている。
いかるが の さとびと こぞりいにしへ に よみがへる べき はる は き むかふ
会津八一の短歌に斑鳩の地をしのんでいるところである。
―今日のわが愛誦短歌
・
山茶花の充ちて咲きたる細り木を
ひとり懸命に立つものとせり 坪野哲久
―今日のわが駄句
・春を待つ寒さに耐えて暮れている

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