3月中旬を以って閉店しました、との痛々しい文字が目に入ってきた。散歩の道筋にある昼は茶房、夜がスナックに変貌する「檸檬亭」の店頭に貼られた墨痕が哀れを誘う。
えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦躁と云はうか、嫌悪と云はうか ―酒を飲んだあとに宿酔があるように、酒を飲んでゐると宿酔に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肺尖カタルや神経衰弱がいけないのではない。また脊を焼くような借金などがいけないのではない。、いけないのはその不吉な塊だ。以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。
広く承知された梶井基次郎の昭和の初めに書かれた文体が今も新しい。聞けば2軒先の花屋は借金取りの問い合わせに辟易しているとのことらしい。突然、姿を隠した「檸檬亭」の笑顔が泣き顔になったのを想像してしまって辛いのだと歎く。
また、
『檸檬』のあらすじを追えば、
前から気に入っていた寺町通の果物屋の前で足を止め、檸檬を一つ買った。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んだ。久しぶりに丸善に立ち寄ってみた。しかし憂鬱がまた立ちこめて来て、画本の棚から本を出すのにも力が入らない。次から次へと画集を見ても憂鬱な気持は晴れず、積み上げた画集をぼんやり眺めた。私は先ほど買った檸檬を思い出し、そこに置いてみたら軽やかな昂奮が帰って来た。店内を見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。それをそのままにしておいて私は、なに喰くわぬ顔をして外へ出ていくというアイデアを思い浮かべた。檸檬を爆弾に見立てた私は、すたすたとそこから出て、粉葉みじんに大爆発する丸善を愉快に想像しながら、京極を下って行った。
第9回日本橋「ストリートフェスタ2013」を明日に控えて清掃中の役員諸氏の献身ぶりを見ていると、3000人を超すコスプレヤーが集結するイベントが楽しみである。檸檬なんて置かなくても軽やかな気分になるだろう。
何となく心が浮き立つ季節になってきたが、半面ものうく物思いにふけることを思うと哀しきことである。
―今日のわが愛誦俳句
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春愁の殺到しくる赤き反射 野見山朱鳥
―今日のわが駄作短歌
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わかものの未来よ甘く酢っぱけり
牡蠣に中りて死にかけている
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