歩け、歩けと妻がしつこく催促するので重い腰を上げることにする。20分も歩けば手足が軽く痺れるような感じになってくるのが心地よい。多分、血行が良くなってきたのだろうと素人解釈するのだが、軽い心臓の動悸、足の鈍(なま)り具合など若いときにはなかった厭な状態が気になってくる。
紅(くれなゐ)のあねもねの花眼に寄せて見ればいよいよ美(くは)しくありけり
と、若いころ愛誦した窪田空穗の短歌を思い出した。そのアネモネの花を軒下のプランターで妖しく咲かせたのが眼に入ってきたからである。
その語源はギリシア語で「風」を意味するΆνεμος (anemos)からだと調べて分かった。ギリシア神話のなかに、美少年アドニスが流した血よりこの植物が産まれたとする伝説があるらしい。「はかない夢」「薄れゆく希望」「はかない恋」「真実」「君を愛す」「嫉妬の為の無実の犠牲」など多様な意味あり気な「花ことば」をもつこの花を、先の戦争の災禍から免れた一区画に今も残る日本家屋の軒下で育てているのは、如何なる人であろうかと想像すると興味深い。あるいは、藤島武二、竹下夢二描く女性の春愁の表情をも思ったりする。
アネモネの花にはじまる一講話 京極紀陽
口縄坂にさしかかったとき、土塀越しに垂れ下がっている「善龍寺」のしだれ桜の枝が伐られて短くなっていた。江戸時代からここは糸桜の名所であったのだが今一本だけ残っている緋桜の枝垂れは時節が来たら見事な花をつける大阪市内の隠れた名所だと思っているのだがその枝を伐ってどうしようというのだろう。坂の途中にあった大阪の大手前、清水谷と並ぶ三名門女学校の夕陽丘高女があり、近くに住んでいた織田作之助は女学生にあこがれたという。恐らく織田作も見たことであろうその桜の枝を伐っているのだから無風流なことであると思い聞いてみたら、通行人が枝に触れて危ないので何とかしろと大阪市に苦情がきて伐られたらしい。その方は、この落葉や花びらで滑って怪我をされてはと掃除されている奇特な御仁で、枝にあたらぬように通って下されば良いものをと歎いておられた。そんな出会いがあるのも散歩の楽しみであろうか。
こいびとよ青きさなえのさやさやとかぜ切りてひかる美しい眉(め)だ 大林明彦
―今日のわが愛誦俳句
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老桜落花の音を聴きすます 村越化石
―今日のわが駄作詠草
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散歩して途中に咲けるさくら花
千歩の先に千の花踏む
影は瀧空は花なり糸桜 千代女
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