やっと麗らかな春の日がやってきた。
桜ばないのち一ぱい咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり とは岡本かの子の佳吟であるが、散策のあちらこちらで咲く満開の桜の万朶の花を眺めていると命いっぱいということばの響きが重く感じられる。
一心寺
侍は首を取らずとも不手柄なりとも、事の難に臨みて退かず、主君と枕を並べて討ち死にを遂げ、忠節を守るを指して侍というとの名言を遺した徳川四天王の一人、本多忠勝(1548−1610)の次男の本多忠朝(1582−1615)の墓所がある一心寺に足が向いていた。
慶長19年(1614年)、大坂冬の陣で、酒を飲んでいたために不覚をとり、敵の猛攻に遭って敗退した。そのことが家康の耳に入り咎められた忠朝は、翌年の大坂夏の陣のとき、汚名を返上しようと天王寺、岡山の戦いで先鋒を務めたが戦死してしまった。その死の間際に、
「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」といったことが伝わり、断酒の信仰があり願かけが絶えないということらしいが、桜の満開の下にある忠朝の墓にお参りしながら酒の功罪を考えさせられる。
本多忠朝墓所
天王寺動物園が4月1日から大阪市在住の小中学生以外は入園料を徴収するということのせいかどうかわからないが、満開の桜の下、大勢の人たちでにぎわっていた。どこもかしこも赤字財政のしわ寄せということだろうか。
大阪市立天王寺動物園
ふと見あげると「あべのハルカス」が春の空にすくっと聳えていた。
大阪市立美術館からのあべのハルカス遠望
―今日のわが愛誦俳句
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けふといふ今日この花のあたたかさ 惟然
―今日のわが駄作詠草
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桜ばなこの世は白き景色かな
戦なければきらめきている
一心寺から新世界通天閣を望む
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