日ごろは一日の歩数が精々3000歩足らずのずぼら者である。家族から歩くことをやかましく言われている者が 34000歩以上(山の辺の道は29000歩と聞き大丈夫かと危惧していたが、行きつ戻りつで)歩いてきた。長く立ったり歩いたりして疲れ果て、足の筋肉がこわばることを「足が棒になる」とたとえられる。そんな状態になりながらも天理から桜井までの所謂、「山の辺の道」を踏破できたのは有難いことである。
一般的には、大倭(おおやまと)の故地を行き、国の肇めの風土を探る道であるということで桜井から天理の石上神宮までの約16キロの道のりが良いと言われているのだが、われわれが住む地域から考えると、近鉄日本橋→西大寺→天理と乗り継いで行くのが便利だろうと天理を出発点に決めた。我々が、駅前から、石上神宮へと続く商店街を通って行きながら感じたのは、白で「天理教」と染め抜いた黒い法被(はっぴ)姿の人々を其処ここでみかけ、商店の人たちと客がすべて天理教信者で成り立っているとは限らないが、共存共栄しているのには吃驚した。これは現在、生きている宗教都市を垣間見ているようで、天理教の大拝殿、宿泊施設をはじめとする巨大な施設が商店街の左右に在るのを見ていると、その信仰のエネルギーに圧倒される。こんなびっくりするような神殿や拝殿を築きあげたということは、奈良時代に東大寺の大仏殿を建立した国家事業に匹敵するような壮大な創造である。新しい宗教都市である天理の特異性を考えつつ石上神宮に向かう。これから歩こうとする「山の辺の道」が楽しみになってきた。
折から、桜まつりがある石上神宮への参道は桜花爛漫の頃でもあった。明日から追々に「山の辺の道」紀行を書くことになる。
―今日のわが愛誦俳句
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命二つの中に生きたる桜かな 芭蕉
―今日のわが駄作詠草
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例えれば愁いてもよし我儘を
許してくれし妻と花見る
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