一夜が明けて、朝の散策にと周辺の草や木の息ぶきを観察して廻っている。と、梅雨の空を思わせるような憂鬱な顔をした男に出合った。厭な顔ではあるが避ける理由もさしてはない。猫を愛し、無数の野良ネコの去勢に努めた結果、先祖代々の身上(しんしょう)を潰して故郷を捨てた男である。わがふるさとは荘園であり、数百年まえからの家系図もあるというのが自慢話であったが、何処の荘かは聞かないでほしいというのが口ぐせであった。この男の場合、野良ネコの情況を今も気にする日課であるらしい。親しくすれば、あの猫を去勢する手術費用を出してくれと甘えられるので、皆は適当に彼を避けているのが正直なところである。いま、その男が傍にいた。話の接ぎ穂に昨日行って来た日根荘の話をしたら厭な顔が、一層、厭な顔色に変ったような気がしたが、委細かまわず農村風景が重要文化的景観に指定され未来永劫に残して行こうという姿勢は良しと評価すべきではないかと思うのだがというと、荘園を一歩も出られない人間関係ほど辛いものはない。あんな指定がされたら、誰がその維持に努めるのだ。野良ネコの世話も出来ない役所のことを考えると、虚しい気分になるのだ。といった。
ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの
よしや うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ そのこころもて
遠きみやこにかへらばや 遠きみやこにかへらばや
室生犀星の
『抒情小曲集』のなかにある「小景異情(二)」の一節が口をついて出て来る。小景(しょうけい)とは、こころに残るちょっとした風景や光景。異情(いじょう)とは、風変わりなこころをいう。よしやは、たとえ、かりに、異土(いど)はふるさとと異なる土地のことで、乞食(かたい)とは物もらいのことを指しているのだが、この詩は何と彼の心情を的確に言い得て妙ではあるが、流石にこんな詩があることをご存じかとは言い出せなかった。
寸借の要求はなかったが、相変わらず厭な顔付きの表情はなく、唯一あった笑顔は泣きながら笑っているとしか感じられなかった。
熱い涙に頬をぬらし じっと見つめてる
忘れもしない 淋しいひとみ なぜにこうまで 故郷は遠い
雨の都の片隅は 片隅は 暗い嘆きの 夢ばかり
『故郷は遠い』とは、現代人の郷愁であろうか。
―今日のわが愛誦俳句
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青梅の臀(しり)うつくしくそろひけり 室生犀星
―今日のわが駄作詠草
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いさぎよくふるさと逃げるかくれんぼ
夜遊び覚えて淋しかるらむ

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