ひる前、久し振りに妹がやって来た。下駄屋街(げたやまち)の誓文払いに行って帰りに寄ったとのこと。今日が御蔵跡(おくらと)の履物問屋の誓文払いであったのだと知った。それにしては、下駄屋街とは懐かしい呼び名が飛び出したものだ。結婚してこの地を離れて四十数年経っている妹からすれば、娘時代の呼称がそのまま忘れられないようである。
長谷川幸延
『大阪歳時記』(読売新聞社)によれば、
「大丸や十合(そごう)が、履物をぬいで上がり、緋鯉や真鯉の泳ぐガラス張りの床(フローア)を歩いたのは、いつごろまでだったろう。端裂(はぎれ)や五彩の紐がのれんのように吊られ、まばゆい裾模様や丸帯が瀑布(たき)のように懸けられる中に、どこからか菊の香が仄(ほの)かにただよった。」とあるように、誓文払いは10月20日を中心に行われ、大阪では、心斎橋筋や戎橋筋などの商店街も催されれていたことが書かれている。
誓文とは、うそはつかないという宣誓証文のことである。遊女は愛を誓うのに、その起請(きしょう)文を血で書いたという。商人は誓文(正札)で販売した、その罪滅ぼしに、誓文なしで商売するというのが、すなわち誓文払であるのである。現在のように正札なしに乱売合戦している商売方法では、いわゆる誓文払はなくなってしまったのは当然の帰結である。最後は、うそをついて蔵を建て、その罪滅ぼしに誓文払いをして還元した昔の商人のようなゆとりはなく、疲労困憊して倒産しているのである。そんなことを考えながら、「下駄屋街」の誓文払いを覘いてみた。一足1000円の草履(ぞうり)を二足でどうかと戯れにいうと、もって行けと威勢のいい声が返ってきた。こうなれば、日ごろどんな悪事をしているのかと詮索したくもなった。しかし、かっては下駄屋を中心に賑わったこの履物問屋街も、今はその隆盛の面影は消えて、マンションがあちらこちらに建っている。もう誓文払いという商店街の風物詩は過去のものになってしまったのであろうか。
―今日のわが愛誦俳句
・
聞かばやと思ふ砧を打ち出しぬ 夏目漱石
―今日のわが駄作詠草
・
忘れてはならぬと思うことばかり
遊女は血塗れた誓文を書くとや
3474

5