折角、小春日和が訪れたというのに、月曜日の朝がこんなに憂鬱であろうとは思わなかった。原因は言わずもがなの瑣事で、周囲からはもう触れない方が賢明だといわれ、まあその通りだと判断した結果ではあるのだが。
晩年の身辺を書いた随筆
『硝子戸の中』で夏目漱石が言っているのは、
「今の私は馬鹿で人に騙(だま)されるか、あるいは疑い深くて人を容(い)れる事が出来ないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充(み)ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。」と、述べているのを思い出して少しばかり気分を静めたところである。
昨日、注文していた、有栖川有栖
『幻坂(まぼろしざか)』が届いた。糸より細い声で大阪が歌っているとの帯書きで、天王寺七坂を舞台に人情味あふれる物語りとのこと。一気に読んで気を紛らそうとしたが、来客が絶えず、「しつこい、毒々しい、こせこせした、ずうずうしく、いやな奴、何しに世のなかへ面を曝し、解(げ)しかねる大きな顔をした奴」と漱石が、
『草枕』で決めつけたこの世の中のわだかまりを次々に受け入れて行くのは辛いことである。
釣瓶落としと言われる夕ぐれが迫って来る。一歩も街に出ることなく一日が終わってしまった。
―今日のわが愛誦俳句
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みじろぎにきしむ木椅子や秋日和 芝不器男
―今日のわが駄作詠草
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この秋は雨多き日よようやくに
晴れ渡りしは罪深きかな

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