「どこのどなたとも知れん行きずりの方に聞いてもろうて、気持ちを鎮めとうなりました。ご迷惑やなかったら、ちょっとお付き合いいただけますか。」
過日、届いた、有栖川有栖
『幻坂(まぼろしざか)』の冒頭である。「一心寺(いっしんじ)さんの横、四天王寺さんから通天閣の方へ下っていくのが逢坂(おうさか)、そこから北に向かって順に天神坂(てんじんざか)、愛染坂(あいぜんざか)、口縄坂(くちなわざか)、源聖寺坂(げんしょうじざか)、そして真言坂。ほかの六つの坂が東西方向なのに、真言坂だけは南北方向で、しかもごく短くて仲間はずれの観がある。」坂道が、小説の世界であるとは、興味深いことである。大阪が怪談とは縁のない街であると自認しながら、「ないのなら自分が書いたらええ」と、天王寺七坂という狭いエリヤに絞って描いたのが、この物語りである。
早速、“I'll leave if you prefer”(お望みならば、ぼくは消えるのよ。)と訳せばいいだけのようでいて、しっくりいかず、ヒロインが愛した男から投げかけられる最後の台詞(セリフ)なのだが、どう訳せばと、躊躇ったところからミステリーが始まる。
先日、道頓堀の「松竹座」で観たばかりの「十月花形歌舞伎」の
『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』の片岡愛之助の団七九郎兵衛の熱演を想い出した。
━団七というのは侠客(きょうかく)で、義理の父親が恩人を裏切ろうとするのを諫(いさ)めようとして、高津さんのお祭りの夜に殺(あや)めてしまう。地車囃子(だんじりばやし)の中での狂おしい〈殺し場〉。ほんまもんの泥水を張ったところへ舅(しゅうと)を沈めて殺すんいやけど、そらもう凄絶で、しかも美しくて、安もんの推理作家が観たら真っ青になるわ。オペラのクライマックスでも、あれだけの迫力はなかなか出えへん。」と、話はすすむ。
「俊徳丸」、「真田幸村」、「芭蕉」、「織田作」、「春琴と佐助」と坂に纏わる数々の物語りを織り交ぜながら、
「仏様は、ここで日想観なさった日々を懐かしんで夕陽庵に立ち戻ってこられたのです。この世を愛おしむお心があればこそ、ふるさとを訪ねるように極楽からふらりともどられたでしょう。あな、いみじきこと。もうお見掛けしなくなって、随分になります。あちらの方になってしまわれたのでございますね。」と、藤原家隆卿の幻を追う老爺に、「つながっているのですよ。分かたれてはおらぬのです。」といういずこからかか妻の声がして、男は朱色の涙とともに頷いた。朱色の涙とは、と考えながら怪談は終わっている。
いつもの散策の道にこんなに多くの怪談物語があったのかと痛快な気分にさせられてしまった。
―今日のわが愛誦俳句
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来ずなりしは去りゆく友か虎落笛 大野林火
―今日のわが駄作詠草
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風のごとく坂上り来て過ぎ行くは誰か分からず幻の声

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