久しぶりに一人で京都に出掛けた。いつも妻が同道してくれるので、一人で出掛けたのはいつのことだったのか記憶にない。東山七条の「京都国立博物館」の特別展覧会
『南山城の古寺巡礼』展が開催中なのでゆっくりと拝見したくなったからである。
ところがである、京阪特急で北浜から乗車したのはよいが、車中は、快適過ぎて迂闊にも寝込んでしまった。気が付けば、車掌の車内アナウンスが「しちじょう、しちじょう」と聞こえるではないか、あわてて降りると、何と「しじょう」であった。そんな筈はないと駅名を確認すると「四条」になっていた。確か「中書島」のときは確認しているのだが、そのあと眠っていたのであろう。
「後生と雨具はてんで持ち」という誰かが言っていたことばを思い出した。「てんで」とは各自の意味で、後生のことは各自が努力するしかないということであることをつくづく味わった次第である。
「伊賀の山中に発する木津川は、南山城の渓谷を縫いつつ西へ流れる。笠置、加茂を経て平野に出ると、景色は一変し、ゆるやかな大河となって、北上する。その川筋には、点々と、十一面観音が祀られている。それは時に天平時代の名作であったり(観音寺)、藤原初期の秘仏であったり(観菩提寺)、路傍の石仏だったりする。漠然とそういうことには気づいていたが、今度歩いてみて、それらの寺が互いに関連すること、水の信仰と密接に結びついていること、特に東大寺の造営に大きな役割を果たした事実を知ることができた。」と、白州正子
『十一面観音巡礼』に書いている。白州正子に教えられるまでもなく、「祈りと癒しの地」と言われる南山城の歴史と文化はこころをしびれさせてくれるものを持っている。今度の展覧会には、「笠置寺」、「海住山寺」、「浄瑠璃寺」、「岩船寺」、「現行寺」、「蟹満寺」、「神童寺」、「観音寺」、「寿宝寺」、「酬恩庵(一休寺)」、「禅定寺」に所縁の諸仏が集められ、一度、二度ならず数度お目にかかった秘仏を一堂に拝ませて貰うことができた。特に禅定寺の「十一面観音立像」の前に跪いて住職と語り合ったときの法悦が忘れられず、思わず掌を合わせ涙ぐんでしまった。
会場を出て賀茂川の薫風をかぐ楽しみをあじわっている。

7108

13