街角に佇んで、わが街の変貌を眺めていたら、お久しぶりですと声をかけられた。しばらく相手の顔を見つめたが、思い出せなかった。6年ぶりで東京から大阪に戻って来たとのこと。通信関係の仕事でその節はお世話になったということから、ようやく接点を探り中(あ)てることが出来た。それにしても街の変貌と人の動きの様子に驚いたという。
彼が去ったあと、またひとりの男が元気でいるかと近づいてきた。懐かしい顔である。日本海海戦で東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊がロジェストヴェンスキーを司令長官のバルチック艦隊を破ったことを熱く語ることが出来る今や数少ない人物になっていた。「T字型戦法」を教えてくれと言おうものなら、得たりやおうと、弁舌さわやかに図示して説明してくれたものだが、90に近い年になっているはずだが矍鑠(かくしゃく)としていた。かつて矍鑠という字を書けるかと唐突に言われ、戸惑ったのだった。開口一番、今日5月27日は、明治38年(1905)日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊と衝突した日だがおぼえているかとにやりと尋ねられた。1945年に日本の敗戦とともに廃止されたのだが、海軍記念日として長くその栄光は讃えられそしてその栄光は日本人の誇りであった。
「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。上って行く坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を上っていくであろう。」司馬遼太郎『坂の上の雲』の一節である。日本は明治期に確かに白い雲を追いかけて走り続けた。そして敗戦を経てまた白い雲を追いかけ経済大国になり得た。あの明治期の時代と今と実は何一つかわらない上へ向かうという気概がある限りこの国の将来は有望なのではないだろうか。夕日の方に去って行く老人の後ろ姿を眺めながらふとその男のあだ名が「バルチック」であったことを思い出した。
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