五月最後の日は土曜日。なのに生命保険会社の若い女性勧誘員が二人ペアで押しかけてきた。後期老齢者を今更、生命保険を誘ってどうしようというのかと冗談を言いながら、
「はつなつのゆうべひたいを光らせて保険屋が遠き死を売りにくる」という前衛歌人、塚本邦雄の短歌を教えた。そして、わが生まれた昭和12年(1937)、両親は、20年後の昭和32年(1952)を見越して「徴兵保険」なるものに付き合わされていた。20歳になれば国家のために目出度く出征し、若しものとき、後顧の憂い(こうこのうれい=あとに心がひかれること。)がないように、町内の割り当てであると10万円の保険に加入していた。銭(円の100分の1)という貨幣単位で庶民の日常経済が賄われていた時代の10万円の貨幣価値はいかにも莫大な金額であったろう。そして、敗戦。戦後の猛烈なインフレを経験して、20年目の満期を迎えた。昭和32年(1952)、フランク永井(1932−2008)が、当時の大卒初任給の平均額が「13800円」だったことを揶揄した歌を歌っていたことを思い出した。
からのトラック思い切りとばしゃ ビルの谷間に灯がともる
今日もとにかく無事だった 嫁を貰おか一三、八〇〇円
ぜいたく云わなきゃ ぜいたく云わなきゃ食えるじゃないか
戦後はそんな時代に差し掛かっていた。満期の10万円は貰ったが、虚しさを噛み締める年頃でもあった。
保険を勧めに来た女性は、丁度、そのころの自分の年齢ぐらいであろうか、岸信介首相による第二次日米安全保障条約が画策されたころでもあった。
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