(承前)。猛暑のなか、粟津温泉をあとにする。その鄙びた温泉郷の風情が佳い。安宅の関跡を目指す。何度もこのあたりを訪れたことがあるが、立ち寄ったことがない。古川柳にある、
「珍しい忠義主君をぶちのめし』というのがあったことを思い出しながらいま、NHK朝ドラで好評の
『花子とアン』に出てくる柳原白蓮がここで詠んだ
「これやこの安宅の関か旅人のめになつかしきまぼろしの見ゆ」に往時の「勧進帳」の世界を想う。
安宅の関跡
吉川英治の
『新平家物語』によれば、
「旅人を検べ、橋を渡しやるたび貝を吹き鳴らして、彼方の関門へ、いちいち報らせてをる様子。―それ故、橋向ふへは、近づき難く、ただ遠くより見るに、橋からほど近い先に当たって左手に、住吉神社の砂丘、それに添って、関門、関屋、柵、番所など、いかめしう、望まれまする。」とある。その住吉神社の境内に関跡があった。
智如太陽 仁如大地 勇如大濤
弁慶の忠勇義烈、富樫の義経主従に対する武士の情に感激した言葉である。安宅の関跡の地に建つ勧進帳の銅像。
「即身即仏の山伏を此処にて討ち給うはむこと明王の照覧計り難う、熊野権現の御前の当たらんことたちどころにおいて疑ひあるべからず。阿毘羅叫喚。」迫る富樫の詰問に、弁慶の詭弁は必死である。そして、見事にこの安宅の難関を突破する。あれこれ想いを廻らせていると、目には夏の日本海の白波が繰り返しよせては返していた。
勧進帳銅像 智 仁 勇
「義経記の作者もきゝし心地するよき北海の波の音かな」 与謝野晶子の感性が伝わってくる。
弁慶逆(さか)植之松
松たてる安宅の沙丘その中に清きは文治三年の関 与謝野晶子
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