まだ明けやらぬころ裏庭に出ると、雨が降った様子もないのに濡れていた。どうやら飼っている金魚の盆池の水のにごりを、この暑さで腐敗するのではと心配した娘が水を換えたようだ。ホースを突っ込んだままちびりちびり水を入れ替え、止めず仕舞で朝を迎えたのであろう。盆池からは水があふれて金魚が外に放り出されていた。土のなかに横たわり、青息吐息の様子で土まみれになって口をパクパク動かしていた金魚を拾い上げ水に戻してやった。よれよれの状態で水中で土をつけたまま浮沈を繰り返しているのを見るのも不憫なので後事を娘に託して家の中に籠もってしまうことにした。
この金魚はもう十年以上、たった一匹残って棲みついていて、孫たちが帰省したら必ずこの盆池をのぞきこんでその安泰ぶりを喜んでいる代物である。亡くなって五十回忌が近づいている父が遺訓として残してくれたのは、バケツでも何でもよいから金魚を飼っておけであった。金魚は蚊の幼虫のボウフラを食べて育つ。若し、火災があれば消火の最初はそれを使えとの教えを遺していた。幸いにしてそのようなことはわが家ではなかったが、向かいの家が小火(ぼや)を出したとき、消防車が来る前の初期消火にこの手を使い類焼を最低限に抑えられたということもあった。
「水更へて金魚目さむるばかりなり」と五百木瓢亭という明治の俳人の句ではないが金魚鉢に飼われた愛玩の金魚の様子が伝わってくる。
『本朝食鑑』という元禄時代の書物に、
「金魚に鯉あり。鮒あり。鱗赤き間に金色を夾む。あるいは身赤く、尾金なり。もと外国より来て、五六十年来、家々これを玩賞して、桶槽および盆池の中に養ふ。杉藻を採りて水に浮かべ、ぼうふら虫を用いて餌となす。春の末に子を藻中に産んで、好んで自ら呑みほす。およそ金魚の子、初め出でて黒色、久しくして紅に変じ、紅老いて白に変ずるものを、銀魚と号す。」とある。
辛うじて、蘇生した金魚は殊勝にも、まだ鱗の上に土をつけたまま泳いでいた。娘の言うには塩を入れて海水のようにすれば、身が軽くなる方法を思いついたのだという。
金魚大鱗(きんぎょたいりん)夕焼(ゆうやけ)の空の如きあり
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