今頃から年末にかけて、歌の調べがもっとも美しい輝きを放つ季節で、この季節を詠んだ歌には、常に「死」がその底にあると、言った歌人を思い出した。
枇杷の花咲きはじめしを遠くにて死者のにほひのごとくに感ず
と、詠んだ小中英之(1937−2001)のことである。彼は、「枇杷の花」を作品化するまで、枇杷の果実の青いときも、熟したときも。花は盛りよりも、咲きはじめのときが強い香を放ち、遠くから引きよせられるという。そんな思いがあってこの作品が生まれたのだろう。彼は、この短歌を詠んだ5年後の2001年、枇杷の花が咲くころ亡くなったと聞く。
彼のことをふと思い出して、近所の公園に枇杷の花を見に出掛けた。道筋ですれ違った車椅子の老人がニコニコ笑いながら、手を振ってくれるのに出合った。介護する女性からお知合いですかと声をかけられたのだが思い出すことが出来なかった。小中が死臭がするという枇杷の花をたまたま見た後だけに、この笑顔の老人は何者なのかと考え込んでしまった。
枇杷の木は死臭の花を終りたり夏ふたたびのみのりのために
昔から、枇杷の木のある家は、病人が出ると嫌われていたと聞く。常緑の大きな葉を多くつけ、主軸よりも側枝の方が伸長するので、こんもりとした樹形になる。ために、屋敷内の日当たりが悪くなり病人が絶えないという言い伝えがある。一方では枇杷の葉は、薬用としての利用も盛んだったらしい。江戸時代には、暑気あたりの薬だった。今風に言えば、熱中症の薬。水分補給に不可欠だったのだろう。また、枇杷の葉は、浴料として皮膚を滑らかにし、アセモ、湿疹にも効果があると言われていた。梅やあんずや枇杷の種にふくまれるアミグダリンという青酸性の成分が癌にも効き、とくに枇杷の葉は暖めたこんにゃくと患部にあてる温熱療法があると聞く。そんな効用があることを考えたら忌まわしきイメージを払拭すべきとは思うのだが、小中英之のことが脳裏を離れない。
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