四月も尽日を迎える。小学唱歌
『若葉』の1、2番の最初のフレーズは、
「鮮やかな緑よ 明るい緑よ」、「さわやかな緑よ 豊かな緑よ」である。そんな新緑の若葉が薫る道を歩いていたとき、工場長の訃報を知った。箪笥職人から冷蔵庫の木工職人と現代の左甚五郎ならぬ名人芸を見せてくれた町工場の工場長の元気な顔を想い出す。確か紀州の湯浅に行ったとき、江戸時代の船箪笥が古民家に展示されていたのを見つけて手にとってつぶさに調べていた目の輝き。鎌倉から南北朝時代の建築と見られる、神戸市北区にある「千年家(せんねんや)」箱木家住宅に行ったときに一体いつまで見ているのだと、その異常な反応に声をかけてしまった迂闊さを今も悔やんでいる。昨年、毎年8月第1日曜日に公開される湖北の観音めぐりで、国宝の渡岸寺の十一面観音を差し置いて、正妙寺の十一面千手千足観音に興味を示し、また来るのだと言っていたのが最後の思い出になった。妻が大病をした後、毎週のように温泉にでかけ、四季折々の花を愛で、紅葉に感動し、神社仏閣に参るとき、かたわらにはたいてい工場長がいた。思い出は尽きることなく、妻や娘はこの日がくることを畏れていた。
わが人生で忘れることが出来ない出逢いの一人であった。ご冥福を祈りたい。
・きょうのわが駄作詠草
風光る淀川渡り通夜急ぐこの道に憶う尽きざることを

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