地蔵盆がやって来た。長男が東京に行ってしまいわが家には、子どもが居なくなったが幼いころ住んでいた孫の名がある提灯があがっているのでお供え物を持って行った。
江戸時代からある和歌がある。
「秋立たば立たばと待ちし秋来ても夏のままなる暑さなりけり」とこの頃の残暑を詠んだものであるが、今も変わらぬ暑さが残るこの時分の天候である。地蔵尊の前で世話をしている人たちは皆、わたしより若く、ひょっとすると昔のことを知る古老は自分ではないのかと思う。わが子ども時代には、この地蔵盆の夜には盆踊りがあり、貧しく苦しかった戦後の生活の苦労を忘れて老若男女が入り混じって踊りに興じ、ゆく夏を惜しんだものだったが今はその情緒はなくなってしまった。近隣の彼方此方にあった地蔵尊も子どもが住んでいないからと中止又は廃止されているのが現状になって来た。散歩の途次、扉を閉ざした地蔵尊の前に来たとき花を換え、一心にお参りしている老女と話す機会があった。だれもお世話する人がいないので今年も祀ることが出来なかったと言う。聞けば85歳の高齢になってしまい、ここに嫁入りしたころ輪番で世話したという。矢張り、焼跡にころがっていたのを町内の人が拾いここに鎮座させたという。見付けたとき北を向いていたので不憫に思い北向きに祀り「北向き地蔵尊」と名付けたのだそうだ。戦後70年。焼跡に転がっていた地蔵尊を祀った篤志家のこころは何処にやと考える今年の地蔵盆である。
・きょうのわが駄作詠草
おとろへしからだを思う今そしてむかし踊りし盆おどりかな
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