晩秋の街を歩いていると、その色彩やひびきにきびしさと寂しさを感じるのも冬近きがためなのであろうか。大正時代の歌人木下利玄(1886−1925)に
「街をゆき子供の傍を通るとき蜜柑の香せり冬がまた来る」という試験問題でよく取上げられていた詠草を想い出した。
いつもの散歩道にも落葉が目立ち始めて晩秋の風景になって来た。歩きながら世阿弥の作と言われている
『落葉』という(三番目物・二場)の能場面を想起しているところである。晩秋の小野の里に旅の僧が着き、「源氏物語」の手習いの君(浮舟)の旧跡に立って成仏得脱を祈っていたら、里の女が現われ手習いの君のみを回向するのかと咎めて、「源氏物語」に出て来る落葉の宮の跡もここにあると案内される。そこで女は、落葉の宮はわたしであると告げ夕ぐれのなかに消えて行く。その晩、僧の夢枕に落葉の宮が現われ、夕霧の大将との思い出を語り舞を舞う。宮は、涙に咽んでいたが、僧の弔いを受けて、はらはらと散る落葉としぐれのなかに消え去って行くというあらすじである。
そんな折、東京の孫が学園祭に来て欲しいと言って来た。明日の正午過ぎにライヴに出ると言うことでかなり厳しい行程になりそうなのではあるが、東京の晩秋を楽しんで来ることにする。
・きょうのわが駄作詠草
武蔵野の落葉を踏みに明日行かん楽しみにして秋惜しみけり

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