在京三日目の朝を迎える。せかせか歩く東京の人の後についていくのも大変だが、あと暫し頑張るつもりである。渋谷に出て、飼い主である駒場の一高教授の帰って来るのをきょうも待っている忠犬ハチ公の像を眺めながら、戦前戦中戦後と変貌して来た街の来し方行方を思っている。
渋谷駅の二階、井の頭線へのコンコースに描かれた巨大な岡本太郎の「明日の神話」が何かを訴えるように圧倒している。そこから見下ろせば、最近海外からの旅行者に、とみに有名なスクランブル交差点である。動画を何名かの人達が撮っている。一度に三千人ともいわれる、往還する群衆を見てこのなかを信号を無視して狂進して来る車がありとすればとの幻想に囚われてしまう。
渋谷区役所の近くにある「二・二六事件慰霊碑」を訪ねることにしたのだが、往時にはなかった喧騒のなかを歩いて行く。区役所に行くのが先決だと、その位地を訊くと、現在建替え中とのこと。仮庁舎を教えられた。その商工観光課に行き、慰霊碑のことを訊ねるとそこまでご案内しましょうと申し出る職員らしき人が現われた。思わぬ助け舟に甘えてしまった。彼は大学で近現代史を専攻していたとか。当然のように2・26事件のことも詳しく知っていた。いろいろ話しているうちに現地に着いた。そこには真新しい花が供えられいた。ここは叛乱軍のレッテルを貼られた青年将校の処刑があった場所で、無念のうめき声が絶えなかったという伝説があったと教えてくれた。そのうえ井伏鱒二の「荻窪風土記」の”2・26事件”について書かれた文章があることをを紹介してくれた。
帰宅して調べると、『二・二六事件の記録を見ると、−叛乱軍の一部の将校たちは七月十二日に処刑された。場所は、渋谷区宇田川町の陸軍衛戍刑務所の隣にある代々木練兵場。死刑執行の銃声をかくすため、早朝から演習部隊の軽機関銃で空砲を打ちつづけ、やがて飛行機二機が低空を旋回した。有罪七十六名のうち、死刑十七名、罪名は叛乱罪。被告磯部浅一の獄中手記も発表してあった。「……真崎を起訴すれば川島、香椎、堀、山下等の将軍に累を及ぼし、軍そのものが国賊になるので……云々」暗黒裁判で書いたという怖るべき手記である。』とある。
奇特な人との出合いがあり、旅の面白さを覚えることが出来た。ふと道の向かい側を見るとNHK放送センターであつた。
・きょうのわが駄作詠草
幾春の花散りにけりと詠み残す老女歌人の歌に涙す

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