春のお彼岸の中日も過ぎた。南半球の方を余計に照らしていた太陽もこれからは北半球の方を多く照らすことになり、日本は夜よりも昼の時間は長くなる。諺にある春の日の長さを言い表した
「春の晩飯(ばんめし)、あと三里」(春は日が長いから、夕飯からでも余り暗くならぬうちに三里ぐらいは歩ける。)
「春の日に兎を釣るよう」(気の長いたとえ。)
「春の日に庇(ひさし)をかける」(強くもない日ざしを恐れてさえぎる。取り越し苦労をするたとえ。)
「春の夕飯くって三里」などがそれで、春の日は暮れそうで暮れないということから、その「暮れる」を「呉(く)れる」にかけて「春の日と親類の金持ちはくれそうでくれない」などともいう。親類だからくれるだろうと、と思うが、どっこい、簡単にお金をくれるようじゃあ、お金持ちにはならない。お金に関しては親類でも他人と思っていた方がよい。さらに、
「春の日とまま母はくれそうでくれない」。という躾(しつけ)と思ってやったことことでも、とかくいわれるのがまま母であり、気の毒である。という諺などを考えながら、ちらほら出てきた花のたよりを気にしているところである。
・きょうのわが駄作詠草
狂い咲く花ひとつ見て冬惜しむ寒さにふるえて春を待ちいる

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