午後、400年以前から当時は長町と呼ばれた日本橋に地所を持つ旧家の 御寮人の突然の訪問があった。400年前と言うと真田丸の活躍があったものの豊臣家が滅び、徳川の天下になった時代にあたる。現在は、狭山池を眺めて余生を過ごしているとのこと。戦後、日本橋筋5丁目にあった先祖からの地所をやりくりして混乱の時代を乗り越えてきたという一代記を聞かされながら2時間に近い茶飲み話に花を咲かせた。
姑、主人、息子たちとの家族関係を縷々聞いていると、この資産家にも辛酸をなめつくしたという理解し難い追憶があり、聞けば小説を読むように蘇ってくる。八十を超えた老女らしくない美貌を拝顔しながら、今は幸せでしょうというと、膠原病(こうげんびょう)に罹り、命旦夕に迫ってきたと悟り、ゴルフに精を出して世俗の煩雑を忘れようと務めたが好かったのか治ってしまったと嘯いていた。ただ息子たちに子供ができず、人生最後の煩悶の日々を送っているとのこと。主人が遺した蔵書に、小泉八雲(ラフカディオハーン1850−1904)の
『英文学史』を買ってくれる古本屋を教えて欲しいとの話が出て来た。資産家は資産を手放すことを考えず、手元に置いて置くべしと忠告したら、子供が出来ないから遺しておく必要はないと一蹴されたが、それはお嫁さんの前で言うべきではないと忠告し、あなたが姑から受けた仕打ちを繰り返さないと悟るべしと、言うしかなかった。
・きょうのわが駄作詠草
ちらほらとさくら花咲くころとなる昔を思う美しき人
川又常行『花見美人図』
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