穏やかな春の日が静かに流れて行く。歩けば其処彼処の木々も芽吹きはじめている。
「幼子にかならずとる勿れといましめて今日も来て見ぬすみれの花を」とは、抒情豊かな歌を作る中野菊夫の感性が伝わってくる。散策の道の隈に咲くすみれを見ての感慨である。
ところがである、そのすみれの場所から数十メートルのところにある彼岸さくらが満開の花をつけていた。ひとり知り合いの商店主がその花を見上げていた。「見事ですネ」と声をかけたら沈うつな表情で、「ここからこの花に投身した女性を想っているところである」ということばが返って来た。もう二十年近く経っていようか、家庭の事情でその傍にあるビルの階上からの出来事であったことが蘇ってくる。さくらは咲けば、怪しげな誘惑が付き纏う。
「桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命(いのち)をかけてわが眺めたり」とは、岡本かの子の代表歌であるが、二十年前のころをそれぞれの人生に照らし合わせて呟きながら二人が上を観ているところであるが、人情ばなしになって来たので笑って別れた。お互いに年を重ねたものよと思いつつ・・・。
・きょうのわが駄作詠草
春浅く少し戻りし寒さにも堪えいる花を見て悲しめり

2009

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