さくらの花だよりが聞かれ季節の交代が感じられる。昨夜、春の夜風を愉しもうと門口に佇んでいたらにこやかな顔がわが顔を覗き込んでいる。見覚えがない顔なので用件を訊いたら、「忘れてもらったら困ります。」という。どうしても思い出すことができないので、失礼なることをと断り問いかえしたら、近所にあった電機メーカーの販売会社に3年近くいて毎日、朝晩のあいさつを交わしていたという。東京への転勤などがあり今年定年退職を迎えたので、20年ぶりに日本橋にやって来たとか。いろいろ話が弾み、「あなたが勤めていた会社のビルの屋上で、河鹿蛙(かじかがえる)が飼われていて美しい声で鳴いていたことをご存知ですか。」というと、「知らなかった」とのこと。あの建物を建てたのは、著名な宮大工。金に糸目をつけずに造ったのだから河鹿を鳴かせ、ホタルを飛ばせる清流をビルの屋上に設えることはお手の物だろうという高尚な話題になってきた。水道、井戸、雨と考えられる水質のことをきょうも追及し合ったのだが伝説のまま、いまだに分からない、興味深いお話である。
「都おどりの甲高き声聞きしかば京に住むわが春の血騒ぐ」
「労働法講義する夫に終日をこき使われて労賃はなし」
「ひと打ちに死なせる蝿が噫という叫びのごとく血を残したり」
大学の大先輩で、今年87歳。その人のきびしい歌風がなつかしい。春を迎えるよろこびに敬意を払うため、阪神地方では、春告魚と呼ばれるイカナゴの新子を送りあいさつしたら、返信でご夫君を病院に見舞う途次、車にはねられて2メートルばかり跳ばされて骨折し、三ケ月の重傷で入院し昨日退院したばかりであることを知った。
「ただ過(す)ぎに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よわひ)。春、夏、秋、冬。」と、清少納言が
『枕草子』で書いた箴言に共鳴したい。
・きょうのわが駄作詠草
いくばくの思い出なれど苦きとう魚の腸を食べず捨てけり

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